Mystery Paradise

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007東郷隆「打てや叩けや 源平物怪合戦」永井路子 「炎環」

[annex]なのか[heiji]なのかちょっとカテゴリ分けでなやんだけど、これはファンタジイの類だと思うので、[annex]にしました。

◎東郷隆「打てや叩けや 源平物怪合戦」光文社時代小説文庫 2007年 819円+税

時代は源氏が勝った鎌倉時代の払暁の闇。
平氏、源氏、後白河院のそれぞれに妖術使い=陰陽師たちが「忍び」のものとして己の勢力の消長をかけて暗躍していたのだが、その院側の術師の中に阿古丸という若い男がいた。
阿古丸は平氏側の天才術師の梓に恋人を殺されて(実は梓の美貌の弟の術師に殺された)梓を打つがために、この騒乱時代を駆け抜ける。阿古丸の立場は院側から鎌倉の陰陽師参謀大江広元へ使いに出されるくらいだから、院−頼朝鎌倉寄り。対するは、院−義経派、平氏−院派。この三者の最終対決の舞台は、頼朝が仕掛けた義経暗殺、堀川館討ち入り。戦争以外は凡人の義経に、戦争指揮はからきしだが政治判断は当代一の頼朝の描写の対比。判断はすべて主に預けてその意のままに術を使う寄生虫のような大江広元や、陰陽師のリーダーたちの描写は、見事です。
結局は歴史で習ったとおり、院−鎌倉の勝利になり、平氏派も義経派も京都を去って挫折した術師たちは熊野の山へと隠棲していく。
東野の書きたかったのは、自立した術者が、集団になってその運命を上部政治集団に同化しはじめると、たんなる組織の歯車となって磨り減ってしまう中で、個人の判断と意思でその術の使い方を選ぶ現代的個人(そんなものいたわけないのだけど)の物語なんですね。
単なる歴史ものなら、読者は、過去を万華鏡のように楽しんで読み終えるところを、こういう現代人個性キャラクタに同化して物語を生き、最後は、現代へとトリップしてこなければいけないので、熊野へ隠棲して騒乱の鎌倉時代から離脱帰還できるという仕掛けなわけです。
物語の傷があるとすれば、阿古丸のキャクターが傍観者性格で、常に巻き込まれ型の存在ということでしょうか。歴史上の実在キャラクター(頼朝、義経、弁慶、後白河院)なんかの存在感に比べると、物語で創造されるキャラクターに実在感が乏しいというのは、興をそこなう点です。東郷の初期の傑作登場人物「定吉」みたいな吉本芸人風キャラクタなら、もっと面白くなるのになあ。

義経の平時の無能ぶりが引き起こす堀川夜討ち。酔って寝むりこけて起きられない大将義経、弁慶以下の部下たちは遊女屋で遊んでいて役に立つ護衛もいない。静以下戦う女たちの印地物ぶりの描写のところで物語はその美の頂点を迎えます。
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刹那、柵の奥で、わっと笑い声があがった。
女性特有の黄色い声である。立ち上がった印地どもは、
「あれは、鬼か」
「堀川館に巣くう魔魅の声か」
手にした石を取り落とした。
−−−−−
この時、中門廊の扉が開き、紅い大鎧を着た武者が一騎、駆け出してきた。
「まさか」
昌俊が息を飲んだ時、武者が叫んだ。
「夜討ちにもまた昼戦さにも、義経たやすく討つべき者は、この日本国には覚えぬものを」
「伊予守じゃ」
太夫判官が出たぞ」
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続く場面で白川院派の術師の棟梁の湛海は、静に馬を寄せて切り結ぶが逆に傷を負って引き下がるの。裏世界の術師の物語ですから、ほとんどモノクロームの500頁の中で、この堀川合戦の場面がぞくりとするほどのカラフルさで記憶に残るのです。
袖に石を包み、帯に石を巻いて礫を投げる女たちに、小柄な義経の鎧を着て馬上長刀で督戦する静御前
いや、こたえられませんね。時代小説の醍醐味と申せましょう。

◎永井 路子 「炎環」文春文庫 1978年 400円 100円 単行本 光風社1964年

4つの中篇が入っている。
「悪禅師」:頼朝野の異母弟長男の今若阿野全成の物語。世に定着している身内殺し屋頼朝の性格を弟牛若丸と頼朝の対面場面で見抜いて、ひたすら韜晦して、頼朝が生きてる間は護持僧として生き延びたのだが、死後に実朝の黒子として権力を握る寸前に北条時政、政子、四郎義時の裏切りによって、頼家・比企一族によって粛清されてしまう。
頼家の口を借りて永井は敗者の全成に言う。
「禅師、源家の血は冷たい・・・・・・な、そうは思われぬか。しかし冷たいのは源家の血だけではなさそうだぞ、禅師・・・・・」
「黒雪賦」:義経ひいきからは、悪役中の悪役に思われている梶原景時の物語。
頼朝を助けているつもりはまったくなくて石橋山合戦の落ち武者狩りで友人の土肥実平を見逃したら、その従者に頼朝がいたという機縁を一生の縁と決断して、武家政権樹立を生涯の仕事として生きる。景時の讒言・陰口と言われるものは、景時のものではなく、頼朝の気持ちを口に出してやる役を演じ続けたのみという解釈です。それゆえ、頼朝の死とともに、梶原一族は頼家独裁阻止の豪族合議制の中の政治闘争では生き残れなかった。
梶原一族で唯一の世俗的善玉人気の高い影季に永井はこういわせる。
「徒労ですっ!父上!徒労ではありまえぬか。父上はそのために、すべての悪評を引き受けられて・・・・・・」
「いもうと」:政子とその妹の阿野禅師の妻で、実朝の乳母の保子の物語。
北条政権の尼将軍という妖怪じみたレッテルが貼られているが、永井はそのイメージは完全に消し去って、源氏政権の本質、源氏と北条という二本の中心糸がより合わされた存在としての政子という観点から話を作っている。
つまり、頼朝・時政、政子(将軍の母)・時政、政子・四郎義時と経て、やがて真の武家の棟梁としての義時執権の確立で歴史的役割を終える。
そうした姉の元で無邪気さを装い、協力的な妹を演じている保子は、頼家・実朝が消去された後で源氏の正統を維持できたかもしれぬ大姫を7歳の時に回復不能のトラウマを背負わせて結婚から遠ざけてしまう。実朝の実母としての政子、乳母としての保子の未来が実朝の死とともに喪失するのだが、二人の姉妹は、新たなる遠縁の公家出の三歳の将軍の乳母と義母の役をはたしていく。
「覇樹」:身内の能力者を使い捨てるように身内を殺していくというのは、頼朝の個性なのか、それとも源氏という武家の家風なのか、それとも武士の本質なのかわからないが、永井によれば、「上官の命令は朕が命令」という武士団体質を確立させたのは、北条幕府ということになる。どうも、こういう体質は、明治以降の体質なのではないか舞踏派は思うのだけれど、
とにかく、武士団の創造は、北条時政・四郎義時の二代によるものであると永井は考えているのです。
その時政から見る四郎義時の成長と、氏の長者の覇権交替の物語。
この義時執権時代に承久の変が起きて、京都天皇家の政治権力の完全喪失=武家政権の確立が起きるわけです。

40年前の日本語にも係らず、まったく古さのない、明快な論理テンポをもった文章でつづられる、折り目正しい、まったく衒いのない歴史物語。
東郷の衒いこそ魅力の歴史物とは対極にある、佳品です。

ミステリ舞踏派久光