Mystery Paradise

元は今はなきアサヒネットのmystery paradise 会議室の分室のつもりだった。haha

005 二対の耳袋 風野真知雄「耳袋秘帳 妖談しにん橋」木村友馨「隠密廻り 朝寝坊起内 利き男」

小金井市学芸大の前でにわか雨というか、雷雨に遭遇して植木屋の植え込み清掃工事がお昼で中止。お昼で中止なんてのは、何年ぶりだろう。いつも合羽は上しか着ないから、下はアンダーパンツまでびしょぬれで、腹が冷えた。下着を替えて毛布を引っかぶって暖めながら、昨日春日町こんにゃく閻魔横の本屋で買ったばかりの「妖談しにん橋」を読んでいるうちに眠ってしまった。二時間ほど眠ったところで管制から電話、明日の現場は荻窪で列車見張り、二つ返事で了解して(朝九時からなら隣駅だから7時に目が覚めても間にあうだろう)、「妖談にしん橋」を読了。あ、鰊でも西新橋でもないですね。でも買ったときは鰊橋だと思ったのです、本当に。

風野真知雄「耳袋秘帳 妖談しにん橋」(文春文庫 552円プラス税)

田沼時代に佐渡奉行まで上り詰め、その後の保守反動松平定信時代に勘定奉行を経て、定信失脚後南町奉行に還暦を過ぎて就任して十八年間在任、都知事プラス警視総監みたいなことをやった根岸肥前守鎮衛。彼が書き残した江戸三面記事風(東京スポーツ風と呼ぶべきかな)雑記一千話以上の『耳袋』。この耳袋で一番有名なのは、たぶん自家の猫が雀をねらっているのを、物を投げて雀に警告して飛び立たせたら猫が「残念なり」とつぶやいたという一話だろうと思う。田沼意次にも定信、信明という保守反動老中にも重用されたというわけだからとびきりの能吏だったんだろうと思うし、こういうカルトオタクみたいな趣味があったということは、政争に巻きこまれにくい性格も温厚なマイペイス人間だったのだろうと思う。同じ時代に鬼平こと長谷川平蔵がいたわけで、彼は火盗改長官から町奉行へステップアップしようといろいろ動いていたが、結局は運なく病死している。平蔵が火盗改に就任するのも、根岸が勘定奉行に上るのも定信が老中首座にあがる1787年なのですね。そうしてまっさきに93年に定信が失脚、95年に平蔵逝去。98年に根岸が南町奉行に就任。この平蔵の早い死(50歳)が、根岸の勘定奉行を花道にしての隠居・引退を妨げてしまったのかもしれないという気もする。
その根岸肥前守鎮衛の「耳袋」の裏には、実は公開できないもう一冊の記録がある・・・と風野真知雄はGot an idea!したのですね。それが「耳袋秘帳」というシリーズ。
元は、だいわ文庫(大和書房)で、2007年に書き下ろしシリーズで始った。「耳袋秘帳 赤鬼奉行 根岸肥前」これが2009年の「神楽坂迷い道殺人事件」まで10巻の人気シリーズになった。それが2010年いきなり文芸春秋に移ってしまう。「耳袋秘帳 妖談うしろ猫」探偵役の同心と家臣が新しくなって、それまでのいい雰囲気が壊れて、うんなんだかなあ、今ひとつ歯切れが悪いなあという印象。作家の後ろめたさが題名にも現れているんじゃないかと思うくらいにそれまでの10巻と比べると、人気シリーズを作り出しているときにビンビンと伝わってきた作家自身のグルーヴが失せてしまっていると感じるのは気のせいか。
通算で13巻目の「妖談しにん橋」は、ややグルーヴがもどってきたかとは思うが、ボーナム亡き後のペイジみたいな印象はまだぬぐえない。自己模倣マンネリ・・・エンタテインメントだからそれも安心して付き合える味なんだが。同じマンネリなら、坂巻弥三郎と栗田次郎左衛門も引き継げばよかったのに。
江戸時代最悪の1500人死亡事故の永代橋崩落事件の6年前というから、1801年に設定されていることになる。まだ奉行就任3年目ですね・・・もし劉備の物語を桃園の誓いから3年目で関羽張飛趙雲馬超に取り替えてしまったら、だれも三国志ものなんか読まなくなる。
まあ、それはそれとして事件は深川の「四人橋」という小さい橋が舞台。
その橋を満月前後の明るい夜に、四人連れで並んで渡ってはいけないと言われているという噂話が広まっていた。四人の影が三つしか見えないときがあるそうで、その影が失せた者は一両日中に死ぬそうな。
噂の通りにて三人が続け死んで、これはただの噂ではないと根岸は坂巻じゃなくて宮尾玄四郎と栗田じゃなくて謹慎中の同心椀田豪蔵をアシスタントに捜査に乗り出す。事件は解決するのだが、なんかすっきりしない後味・・・エンタテインメントとしては中途半端な捕り物帳と言えるか。昔から読んできたものなら、風野節根岸肥前守鎮衛のファンならば、まあ読めるけど。ツエッペリンファンならペイジのギターが(ロバートプラントの声が)聴けるなら何だっていいやというのと同じか。

木村友馨「隠密廻り 朝寝坊起内 利き男」(廣済堂文庫 2009年 619円プラス税)

こちらも根岸肥前守鎮衛が準主役で出てくる。出てくるのだが、こちらは就任15年目の根岸である。さすがに七十七才ともなるとかなりくたびれた爺様になっている。ヒーロー探偵は全く売れない物書の朝寝坊起内こと二十五歳にして『元』人斬り『鬼業平』の根岸の隠し子の岸根鎮馬。一作目の「雛たちの寺」で偶然、襲撃されている(根岸というのは風野版でも木村版でも徒歩で歩くのが趣味だから、よく襲われる)ところを助けられた女物の小袖を羽織にしている白面の貴公子風浪人が勘定奉行時代に愛した辰巳芸者の生んだわが子だったというのが物語の本スジを圧倒するような人情ものになってしまっているのだが、ともかくもおもしろい話になっていた。二作目は「かたかげ」で、三作目がこの「利き男」。
本筋もなかなかスピーディでおもしろいのだが、この忘れられていた息子と思い出した親父の関係の人情もの部分がなかなかおもしろい。
父親が素直じゃない息子の前で心臓の発作を起こす。用人は布団を手配に鎮馬に奉行を任せて出て行ったあとの会話。
kokokara---------------------------------------------------------------------------------p.94
「大事ない。ただちと熱が出てきたようでな。畳の冷たいのが心地よい。少し風に当たりたいで、そこな障子を開けてくれんか」
「大丈夫なのかよ・・・・・」
(中略)
「開けすぎじゃわ、寒いわえ」
「風に当たりたいって言ったのはあんただろ」
「びぇっくし!」
返事の代わりに奉行がクサメを連発すると、舌打ちしながら鎮馬は障子を半分ほど閉めた。自分が羽織っていた長半纏を脱ぎ、もそもそ胸から鼻紙を出していた奉行に放り投げる。
「布団が来るまで被ってろ」
奉行は鼻紙を手繰る手を止めて、頭に被さってきた長半纏の下からしかめっ面を出した。
「なんじゃお前、こりゃまたずいぶんあちこち破れとるぞえ?」
「いやなら返せよ」
庭を見つめたままの鎮馬が言うと、「いや、ありがたい」と奉行は言って、それを自分の体の上に広げた。小柄な奉行には、足まで隠れて余りが出る丈だ。
(中略)
なぁ、と鎮馬が声を出す。
「ん?」
「あんた・・・・・。死ぬのか」
十の年には一人で母を看取っている鎮馬の声は、いっそ落ち着きすぎているほどに落ち着いていた。奉行は笑顔で息をつく。
「人はみな死ぬわえ。死なぬものは化物だけじゃ」
kokomade---------------------------------------------------------------------------------P.97.
と、まだまだ父子の会話は用人がその妻女をつれて布団一式抱えて入ってくるまで続くのです。
本筋の方は、人斬り「鬼業平」並の人斬りと毒つかいの女忍者がコンビを組んだ殺し屋が尾張藩の内紛に絡んで朝寝坊起内に挑んでくるというチャンバラエンタテインメント正統派。こちらも楽しめます。後味もすっきりしております。

木村友馨(きむらゆか)さんの文体や作法がくさすぎる衒いすぎると嫌う人も多いようですが、舞踏派は新本で買ってしまう魅力のある作家であると思います。まだ全部で九作しかない新鮮さです。

朝寝坊起内シリーズのカバー絵もいいんですよ。宇野信哉という人の絵が線が切れてるというか。
耳袋秘帖のほうも室谷雅子さんの絵がいいんですが、文春文庫はカバーが光るタイプの紙なんで、大和書房の紙とくらべると、ちょっと品がなくなって雰囲気を損なっているような気がします。

あ、そうだ。宮部みゆきも「天狗風」で根岸肥前守鎮衛をレギュラーサブキャラクタとして登場させてた。こちらについては、マンガ化されたもので書くつもりです。
ミステリ舞踏派久光