Mystery Paradise

元は今はなきアサヒネットのmystery paradise 会議室の分室のつもりだった。haha

015 東郷隆「明治通り沿い奇譚」 森真沙子「日本橋物語 蜻蛉屋お瑛」

ふと、気がついたら東郷隆の「明治通り沿い奇譚」を二回も古本屋で買っていた。なぜ、こんなことになったかというと、この本今まで一度も通読したことがなかったせいだ。ミステリではないし、主人公がサスペンスの迷路の底でにげまわるホラーでもない、通読するまではジャンル分けもできない文字通り「奇譚」なのです。主人公は東郷本人で、文字通り道化回し。ただひたすら見聞きして淡々と語っているだけなんで、つい他の本がおもしろいと鞄の底や枕まわりの埃よけか、目覚まし乗せになって、そのうち棚にいいやそのうちと戻してしまったからです。
ところが、たまたま森真沙子の「日本橋物語蜻蛉屋お瑛」と枕元の数十冊の中で上下に並んでいたものだから、寝酒(今体調を二年ほど崩しているもんでアルコルがいけないのです)替わりに、「奇譚」を一章読んで寝ようとしたら、もう一つサンドマンの砂の効力が弱い。そこで「物語」を一章読んだら、これがケミストリ。読み終わると同時に、すっと寝入れた。おかげで、ちょうど一週間で、読みにくい二冊を片付けることができたのです。
そこで二冊の内容を交互に紹介することにしましょう。
(実は半分は11月に書いていたのだけど、アップする前に体調不良になって下書きのままだった。箱根駅伝を聞きながら、書き加えてやっとアップできました。2013年1月2日夜)

東郷隆「明治通り沿い奇譚」新潮文庫 1998年 新潮社 150円 定価440円、単行本(1995年 集英社)  森真沙子「日本橋物語 蜻蛉屋お瑛」二見時代小説文庫 2008年(初版2007年) 二見書房 定価648円+税

[明治通り沿い奇譚]花見の人
[日本橋物語]雨色お月さん
花見のほうは花見をしようと、カメラを持って中年男一人が日の出桟橋から花見水上バスに乗る話。乗ってからしまったと思う、みなカップルばかりで一人者は作者のみ。いや、もう一人、侍姿の男が一人。その男が相席よろしいかと寄ってきて、男と墨田公園まで同行することになった。その男が昔の花見の話を始める。男の話は花見で見た大名行列の話だった。作者は翌日、男、電気屋だという侍が桜の下で酔いつぶれているのを見かける。毎日、そこで酔いつぶれていると近くの売店の主はいった。朝から売店で10数本のビールを買って飲んでるという。
お月さんの方は、日本橋式部小路に染織工芸の「蜻蛉屋」を開いている独り者の女将、お瑛が主人公。客はみんな、「かげろうや」と読んでくれず「とんぼや」と読むのが不満だが、客あっての商売、それもいいかというような鷹揚さもある。番頭の市兵衛、雑用係のお民に、病床の義母のお豊と老女中のお初がいる。
若い内気な男の客が紫紺の反物と帯を十五両をはたいて買っていった。後日、多恵という娘がその帯と反物を持って店にやってきて、若い男の飾り職人は手切れがわりに置いて去ったと泣く。お瑛は飾り職人の吉之助の消息を探索して真実を知る。 ん、でも犯罪でもなんでもなかったということなんだ。
どちらの話も、続けて次の章へ行こうと思わせるものがないけど、うん、後味のいい読み物なんですね。そこが、二冊とも買ってから数年も枕元で眠ってた理由なんです。
で、二日目の夜になると、また続けて読みたくなる。
[明治通り沿い奇譚]太郎ちゃんやかん
[日本橋物語]金襴緞子の帯しめて
太郎の舞台は渋谷も氷川神社で見世物を見るところから始まる。ついで国学院大と思われる大学を散歩したあと、明治通りの飲み屋に入った。そこで、70年代の学生運動のデモから警官に追われて逃げ込んだ見世物の思い出話になり、「太郎ちゃんやかん」という見世物の前口上の話になった。そこで老人が話しに混じってきて、その老人こそ「太郎ちゃん」の話の作り手だったとわかる。老人を若いものが連れに来て消えたあと、目の前の湯豆腐鍋が昔聞いたやかんのようにピィーと鳴った。
金襴緞子の方の筋はこうである。お瑛が銀という女を始めて見たのは蕎麦屋だったが、父のような武士と口げんかとも痴話げんかともつかないやり取りをしていた。そのお銀が店に来て高級反物を買っていった日に、60過ぎの老婆の二人連れが現れ、帰った後、岡っ引きが来て、老婆の万引きの情報をたずねてきた。岡っ引きはお銀と老婆達が組んでいると見ていた。お銀が再び店に来た日に岡っ引きが現れ番所へ連れて行こうとしたときに、お銀の隠れボディガードの銀蠅の留が現れ、姉さんになんの因縁をつけると、顔役の親分の名前まで出して凄み、岡っ引きを追い払う。後日、再び銀があらわれ、これから、親分から逃げて江戸を去るのだと挨拶に来て帰った。という筋。

まあ、事件らしい事件は二つの物語にはでてこないで、ちょっと日常からずれている謎めいた話が語られるだけなので、あとはタイトルを並べるだけにする。
[明治通り沿い奇譚]タイル絵
[日本橋物語]化け地蔵
[明治通り沿い奇譚]キリム
[日本橋物語]狸御殿
[明治通り沿い奇譚]フェズの男
[日本橋物語]七夕美人
[明治通り沿い奇譚]枕
[日本橋物語]葛橋
[明治通り沿い奇譚]杯の中

なんで、この二つがこうも溶け合うように読めるんだろうと思ったのだが、その謎を東郷自身が後書きで教えてくれた。
Kokokara---------------------------------------------------
あとがき
ある文化人類学者の説によれば、東京はこれまで五度も崩壊しているといいます。
一度目は明治の維新。二度目は関東大震災。三度目は東京大空襲。四度目が東京オリンピック。五度目があのバブル崩壊だそうです。
東京のもの書きは、昔からこういう環境変化が起きるたびに作品を残し、消えいくものに対して分かれの手を振る習慣がありました。たとえば子母沢寛以下東京日日新聞の人たちは「戊辰物語」で江戸の崩壊を記録し、岡本綺堂は「半七捕物帳」の中で、時代劇の体裁をとりつつ震災前の町の形を復元してみせました。また、江戸の残滓を払拭した空襲に関して、多くの物語があることは皆様すでにご存知でしょう。高度経済成長期を記録したものでさえも、1960年代のオールデイズという形で残されています。
五度目の崩壊を書いたものが少ないのは、未だ生々しい記憶があるせいでしょう。しかし、昭和末期から平成初年に至るあの不気味な熱気は、風景だけではなく人の心も完全に変えたのです。地震や空襲は目に見えます。が、人が欲得ずくで行う環境破壊、真綿で首を絞めるようにじわじわとやってくるから、よけい始末に悪いものです。
雑誌に連載されたこれらの物語に、あえて"明治通り”の名を冠したのは、そこが私のよく知っている道であり、資産価値が高かったため、東京で最も効率的に破壊された場所だからです。
その沿道で辛うじて生き残った人々の語る"変な話”を、私はまだ書くつもりです。
koko----------------------------------------------------made.
そう、失われた町の記憶への思いがこの二つの文庫に共通するものが、共振するものが多いせいで、交互に読むことでそれがいっそう増幅されるのです。
と書いてきて、31日に去年セレブレイションデイでのレッドゼッペリンのプレイを見て、1日にやはりローリングストーンズの50周年ライブを見て、ロバート・プラントミック・ジャガーのパフォーマンスに耳を奪われ、目を奪われた。これが70寸前の爺さんの声とステップか!この二人にとって、すぎた過去は失われた過去ではなくそのまま現在に続いているんですねえ。そうロックしてるんです。弔辞ロックではなく超時ロックです。
ばたばたとロックの伝説が死んで行った中でかろうじて生き残ってるモンスター(スティーヴィー・ニックスもそうだなあ)は、やはり”変な”野郎女郎なんですね。