Mystery Paradise

元は今はなきアサヒネットのmystery paradise 会議室の分室のつもりだった。haha

上田早夕里「妖怪探偵・百目1朱塗りの町」「妖怪探偵・百目2廃墟を満たす渦」西条奈河「世直し小町りんりん」武内涼「妖草師」東郷隆「定吉七番の復活」「センゴク兄弟」

上田早夕里西条奈河東郷隆も新本で買ってしまう・・・贔屓の作家です。武内涼はたまたま立ち読みして新本で買ってしまい、つい先週に妖草師シリーズ第二作がでたのを、上田さんの百目シリーズ2と西条の「世直し小町」と一緒に新刊コーナーで見つけてどうしようかと迷いましたが、まいいか、古本を待とうと見送りました。懐具合がよかったら四冊目につみあげてしまったかも。
半年近く書くつもりで積上げておいた文庫が27冊。読んだけど、書くに及ばずと燃えるゴミに出したのは同じくらい。フランス語文法の復習練習やってた割には、数はこなしてましたね、数だけは。それと「こちら葛飾区亀有交番前派出所」もやっと全巻そろって、それも書くつもりだけど、いつになることか。lol

上田早夕里「妖怪探偵・百目1 朱塗りの町」光文社文庫2014年600円税別、「妖怪探偵・百目2 廃墟を満たす渦」2015年680円税別

人間なんかいなくたって妖怪は妖怪として存在するはずという考えの妖怪・人間混在世界物語というのはめづらしい。妖怪・妖精・精霊・幽霊等は別に存在しなくても人間世界はあるという考えの物語の方が圧倒的に多い。陰陽師の時代、陰陽師が街の片隅にでも看板を上げて商売してた時代は遠くなっても、この国にはまだいるらしいが、全て「怪」は払うべしといの裏警察思想で行動しているらしい。(舞踏派はまだその手のお払い家業の人にはあったことがない)ところが上田さんのこの世界、妖怪も精霊もちゃんと人間と混在していて、一方的に人間の方がなにやら狂信の宗教集団のごとく妖怪を付狙う存在なのです。妖怪の方は、人間はいたって別に問題はない、食料になるんだから、魚や獣と同じでいなければ別のものを食うまでで、いなくたっていいから、いてもいいという哲学でいるのに、人間の方は「有害存在」とは共に天を戴くわけにはいかないと陰陽師やら対妖怪アイテムを警官にもたせている。
舞台になっている『真朱街』という地方都市は妖怪を閉じ込めると信じた朱の壁で囲んだ対妖怪実験都市みたいなところで、妖怪もサファリパークをもらったようなつもりで集まって住んで自由に出入りしている。人間も、一様化を強制する社会からはみ出したものが集まってきて、食われるのをスリルとして住民になっている。
上田さんは書く:ここでは妖怪と人間の境界は限りなく曖昧である。人は妖怪に近づき、妖怪は人に近づく。
その街で政府の陰陽師能力者の対妖怪能力研究機関から被実験者の子どもと逃げ出してきたもののその子どもからも見捨てられた研究員相良邦夫が住み始めた。職業は、百の目を人造皮膚の下に隠した絶世の妖怪美女探偵百目事務所の調査員。所員にもかかわらず、邦夫が依頼者の調査に百目に協力してもらおうとするたびに、この美人妖怪は恐ろしく長命の命を持っているという邦夫の寿命を調査報酬として要求する。彼女にとっての邦夫は歩く保存食料というわけである。邦夫にしてみれば人間世界になにも未練がなくなっているので、自分の寿命が明日に吸い尽くされてもどうでもいいのである。妖怪の舌はそれぞれで、百目は邦夫の命がおいしく感じられるのだが、最初の事件に登場したぬらりひょんは、人間らしい明日を信じている明るさ甘さ皆無の砂をかむような不味い味と酷評したくらいである。二つめの事件は、行方不明になった母子家庭の幼い息子を探してくれという依頼で、これは見つからなかったという報告を母親に上げて邦夫には一円にもならなかった。三つめの事件はヒューマノイドタイプのロボットに恋したかまいたち風鎌)の依頼。ここで、この物語の人間側英雄(妖怪からしたらヒール)の陰陽師播磨遼太郎が登場して依頼人=妖怪を土に還してしまう。4番目の事件というか出来事は、この播磨遼太郎が妖怪を滅ぼしまくり始めて、妖怪側が実力者を集めて反撃にでる。その中に、邦夫に百目を紹介したバーの主人の牛鬼(ごき)がいて、彼だけが妖怪側で生き残り播磨遼太郎と相打ち気味に引き分け、播磨は一年ほど傷の療養と呪力回復に専念するはめになる。牛鬼を傷つけた播磨遼太郎の魔よけ短刀は邦夫の守り刀として、牛鬼と百目から押し付けられてしまう。というのが『1 朱塗りの街』
『2 廃墟を満たす渦』では、『1』での脇役の県警妖怪対策専門第5係の忌島刑事が、いよいよ人間側が対妖怪戦争意思を明らかにして、5係から課に昇格した特殊安全対策課長に指名されてしまった。心の内では妖怪・人間共存主義者の忌島にしては面倒なことになったが、辞職しても同じだけ稼げる職もないと引き受けて播磨の呪文を刻み込まれた対妖怪銃(これもとんでもないアイテムで、撃つ人間にもダメージが還ってくる。いかにも役人根性の上役は忌島に押し付けて触ろうともしない)の汎用廉価版銃を持たされた部下を率いることになった。
百目以外の登場キャラクタの過去が語られていくのがこの『2』です。牛鬼の依頼の妖怪の敵・播磨調査に百目と邦夫が日本中を旅することになり、その播磨の過去から生まれた恐るべき妖怪の存在も明らかになる。妖怪も人間も食らい尽くす「」という妖怪がまるで妖気の台風みたいに真朱街へ向かってくるところで『3』へ続く。妖怪とその共存主義者にとっては前門の播磨に後門の濁みたいなエライコッチャになってしまったのですねえ。
『1』『2』もSF作家の上田さんらしい科学的説明のついた細部描写が楽しいですね。たとえば、忌島がバーに来て牛鬼がその席は予約席だから座らないでくれという。その理由が、
「座席が暖まっていると嫌がる客なんでね」「珍しいタイプだな」「雪女の姐さんなんだよ。だから席を冷やしておく必要がある」
とか、電気製鉄炉にすむ「たたらの主」と、その火をツマミ食いに来る「火取魔」の会話。
「なぜここから火を盗る。人間の家へ行って、蠟燭やライターから火を盗ればいいだろう」「最近の人間は、あまり火を使わなくてなあ・・・・家はオール電化練炭火鉢もガスコンロもない。ホットプレートも電気製品だ。重力発電なんてものを使うから、蠟燭すら置いてない。煙草を吸う人間が減ったせいでライターも持たん。提灯や行灯はLED。誕生日やクリスマスのケーキくらいしかもう火を盗る先がないんだ。火事の現場に行って火を盗ったんじゃ人助けになってしまう。それではつまらん・・・・・」
文庫書下ろしだから、年内に『3』が読めるかなあ。楽しみです。

西条奈河「世直し小町りんりん」講談社文庫2015年690円プラス税

デビュー作「金春屋ゴメス」以来の贔屓なのだけれど、最近はファンタジー抜きのリアルな人情物ばかりだった。達者だなあとは楽しむんだけれど、今一つ、羽目をはずした想像力の味を加えてくれもいいじゃないかと思ってたら、ちょっぴり加えてきた。主人公は裏長屋住まいの高砂弁天と評判の長唄師匠の十八歳、お蝶で、実は兄がいてそれが一見頼りなさそうな南町奉行所町方与力の榊安之。つい最近までお蝶の父の隠居した与力の安右衛門も生きていたのだけれど、急病で頓死してしまったので、お目付け役兼保護者として兄嫁の沙十が三日とあけずに長屋へたずねてくる。この姉は老僕の作蔵をおともに八丁堀から歩いてくるのだけれど、とんでもない方向音痴で右にいくところは必ず左、左に曲がるところは右に歩いていくというので1.5キロくらいの路を四時間くらいかけてくる。老齢の作蔵は杖をついて、いい運動と付き合ってるらしいのだけれど、実はその杖は二つに割れて、その先に懐剣を付けられるようになった仕込み薙刀になる。で、沙十は薙刀の免状持ち。作蔵はその薙刀持ちというのが実の役目。一応稽古場の用心棒には幼馴染の枡職人の千吉とその知り合いの三十男の坊主の杖使い雉坊が外の床机についているが、主人公二人は、頭脳というか直感力のお蝶と武力の沙十なのですね。
沙十と安之のなれ合いは、安之が襲われていたとき沙十が助けに飛び込んできてというのが、安之ののろけで、お蝶には剣道場をあまりの見込みなさに破門されたということにしているが、実は、これが怪力の天性を制御できない剛剣のせいで、道場生を次々に怪我させたが故の出入り禁止であったとは、お蝶以外のものには有名な事実。夫婦で最強のギタリストはDerek Trucks と文学博士Suzan Tedeschiだと思うのだが、この安之・沙十夫婦も似たようなものかな。(あ、脱線。lol)
事件はお蝶に付きまとう影から始まる。長唄の弟子の女の子が誘拐されて、その二人を囮にお蝶がつかまるところへ沙十が乗り込む。
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「どこのご新造かしらねえが、そんな小刀であっしらとやり合おうってんですかい」
「いえ、これは、小刀ではありませんの」
にっこり笑った沙十が、まるで別人のような凜とした声を放った。
「作蔵!」
「へいっ!」
勢いよく応じた爺やが、杖の頭に手をかけた。ぱかりと蓋があき、中から細身の棒を二本取り出して繋ぎ合わせる。たちまち長柄となったものを、阿吽の呼吸で沙十が後ろ手に受け取って、反りのつよい懐剣の刀身を先にはめた。
びゅおん、とひとふりされたものは、見事な薙刀だった。
・・・・
わずか三つ数えるほどの早業である。
kokomade-------------------------------------------------(はなれ相生 P.43)
さすが十人を越えるやくざもんを相手に圧倒はしても、やくざもんも粘ります。数を頼みに弱そうな作蔵とお蝶と弟子たちをねらうので、もてあましかけたところに、杖を振り回して雉坊が現れる。作蔵が「あっしなんざ、いつ迎えがきてもおかしくねえ歳だが、こうしてお嬢の艶姿を見るたんびに、寿命が一年延びちまいやしてねえ」と笑う大活躍で拍子木がちょん。
まあ、こんな調子で事件も解決するのだけど、事件はけっこう深刻で、お蝶が狙われるわけは、病死ではなく何かを捜査していた隠居の安右衛門は殺されて、その原因になった「物」の行方をお蝶が知っていると思われたことによる。実際はお蝶はなにも知らなかったのだが、襲われたのに逆襲するうちに真実を突き止めると、安之の上司の南町奉行から、幼馴染の千吉、雉坊まで巻き込まれている新興宗教の倒幕陰謀を暴いてしまうことになるのである。で、この陰謀の行方も西条加奈流の大仕掛けなどんでん返しが用意されていて、読み出すと読み終わるまで引っ張られっぱなしということになる。Tedeschi Trucks Band のブルースを聴くようなもんです。
えどうしてスーザン・テデスキかというと、ブルースシンガーでギタリストって現代の長唄師匠みたいなもんですから。lol(Derek 坊やは年上の長唄師匠にほれ込んじまった天才三味線少年みたいなもんです)

東郷隆「定吉七番の復活」講談社文庫2015年850円プラス税

1985年の「定吉七番(セヴン)は丁稚の番号」を「定吉七番は殺しの番号」と覚えていた。lolそれに「さだきち」を「じょうきち」と記憶していた。lololol
後頭部に十円ハゲがあり、鳥打帽をかぶり、柳葉包丁を武器に、「関西人に納豆を食べさせる」文化革命を目指す関東の秘密結社NATTOを相手に大坂商工会議所発行の殺人許可証をもった丁稚が東京とその周辺を歩き回る。テロリストとしては既に八十人以上暗殺している物騒なやつ。よく、当時の日本政府と警察は放っておいたもんである。好物はワケギを刻んで一杯に散らしたケツネウロン。ジャマイカに見立てた江ノ島を舞台にした、イアン・フレミングの「ドクター・ノー」のパロディだったような記憶がする。
なんかけっこう、笑えた記憶があるけど、筋書きは全く覚えてない。
面白かったけど、一作読めば十分とシリーズがどうなったか、定吉が番頭に昇格したのどうかも確かめないまま、全く知識がないままに30年がすぎた。
作者の東郷の方はいつの間にか歴史小説の方で佳品を積み重ねてお気に入りの作家になっていた。
それが、いきなり日野市豊田駅そばの啓文堂で棚に積上げられているのに出くわした。思わず買ってみると、定吉はいつの間にかスイスアルプスの氷河の谷間に落ちて行方不明になっていたらしい。お、それが発見されて氷付けから解凍されて25年の冬眠から目覚めたという設定で復活してきた。(25年も氷付けで凍死もせずに復活する、そんな馬鹿なというような・・・・読者は最初から想定外、この手のアクションフィクションを手に取る輩にとっては、「ジュラ紀の恐竜と共に発見された氷付けの人間ピクルが復活して現代の最強格闘者と戦う」という、板垣恵介という格闘マンガ家のお話も読んでるに違いない)登場人物もなんと本人も知らぬ間に娘が生まれていてそれが、大坂商工会議所の新秘密会所OSKエージェント岡田真弓として(もろ虎の名前ですね)登場してくる。敵の設定は田中角栄をモデルにした闇将軍なのだが、こちらも頭脳移植手術で若返ってスイスのハンサム肉体派男に変身しているという荒唐無稽。パロディの元にする原作もないので、スター・ウオーズもネタ元になって、定吉はこの闇将軍のオトシダネだったというおまけ設定までくっつけるからワヤクチャデんね。
旧作同様続きが出てもよう買わんと思う。

東郷隆「センゴク兄弟」講談社文庫2010年108円定価629円

けっこう時代考証がしっかりとしているなあと思って立ち読みしていた青年マンガ誌週刊ヤングマガジン宮下英樹作画「センゴク」は、それもそのはず、考証役に東郷隆を迎えていたらしい。で、取材旅行にも同行していたという東郷はそのマンガからスピンオフ作品として物語をつむぎ上げた。
マンガと同じく主人公は木下藤吉郎時代から仕えて一時は十万石大名へと出世したものの、島津攻めで大失敗して浪人、小田原北条攻めで浪人部隊を率いて参戦活躍して5万石に復活、その後家康について勝ち組に生き残った仙石権兵衛秀久が織田信長の美濃攻略戦の間に信長に織田家二つ紋許可を得て、木下旗下の武将の卵と認められるまでの話。
東郷は、織田・斉藤鼎立時代の郷士の仙石家が生き残りをかけて、両てんび戦略のため長男の新八郎久勝を弟の権兵衛秀久に挿げ替えるところから話を始める。戦国時代の兄弟相戦う風潮の中であっさりと弟に家を譲って家を出、弟の人生の節になる合戦には必ず顔を出して助勢した兄とそれに感謝続けた弟の物語を、弟を迎えに出てそのまま家臣として使えた老武人源五左衛門と青年武人三郎の目から描いている。書いてるうちに新八郎の魅力に捕まったらしく、今度は新八郎の戦国武芸譚を書こうかなんて後書きをつけているくらい。楽しみだなあ。とにかく、考証がしっかりしてるから、虚構ではあるけれどリアルな臨場感を生み出せる稀有な作家です。
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到着した由、軍奉行に報告することを侍言葉で、「着到をつく」というのは以前にも書いた。祐筆が目録に記入し、参加者はその早い遅いを忠勤の基準とするのだが、織田家の着到法は、斉藤家のそれよりも数段厳格だった。
祐筆は小判の越前紙に、切れ目から右三寸七分(約十一センチ)開けて着到の日時、名前、
率いてきた人数や装備の数を記入する。
「途中往還にて三人討死。当家総勢十七名。以上」
と権兵衛が言うと、祐筆はうなずいたが、以上という文字は書かなかった。陣中では、人数に必ず異同があるからという。
「一見状を出すゆえ、しばし待たれよ」
軍奉行は権兵衛の蝕状を持って奥に入った。着到目録の記入証明書を一見状と称し、文面そのものの記述は素っ気ない。
美濃国黒岩住人 仙石権兵衛慰秀久
右四月十三日伊木山着到 不可有相違者也、仍状如件
文末に一見了とあり、信長自身の花押がはっきりと付いている。
押しいただいて帰りかけ、権兵衛はあることに気付いて愕然とした。
(織田殿は、これだけの人数へ即座に一見状をだすのか)
全ての着到者を己自身の目で確認し、花押を押しているのである。並みの武将は、これを面倒がって、一見状も合戦終了後に発行する。
尾張の殿は、気紛れ、うつけ、気短かと人はいうが、さにあらず)
恐るべき小まめさであり、気働きであった。
kokomade-----------------------------(P.312-323)
まあ、よくここまで調べてあるものです。博覧強記とはこの作家のためにある言葉ですねえ。ミステリ舞踏派としては、「名探偵クマグスの冒険」も早いところ手に入れて読まねばと思ってます。
(追記 5/24/2015) 昨日、久々に高田馬場の現場に列見に出て、帰りにブックオフに寄ったら、この「センゴク兄弟」のマンガバージョンがあった。最後のクライマックス場面の新八郎と美濃方の「鬼蔵人」斉藤蔵人(当時としては巨人の180センチの背丈に加え、三尺近い大太刀を使う)の描き方を見たら、ああ、やっぱり、これを振り回して打ち合うのはいいとしても(頭に当たれば脳震とうを起こす、それを小刀で首を切り取る)それで鎧ごと胴を斬り首をはねるなんて描写になっている。東郷も映画やマンガは絵の見栄え効果が命だから、しょうがないと思ってるのだろうけれど、マンガの「センゴク」シリーズの合戦描写につき合っていて、この時代考証の達者は多分無意識のストレスが溜まって、どれ本物の合戦というものを書いて見せようとスピンオフを書いたのかもしれない。大太刀は鎧等具足を身に着けている相手には脳震とうや打撲、骨折を起こす武器であり、突きを顔面や喉や具足のスキマに差し込んで致命傷を与える武器なんですね。今見る日本刀より、はるかに身幅も厚く頑丈だから重い。ま、工事現場のバールの先を尖らしたものみたいな重さ大きさなわけです。したがって、これで相手をノックアウトしようとするには、肩に担ぎ上げ、そこから振り下ろす、振り回すわけで、どうしても、前に構えたところから突き出す槍や大太刀の速さは出ない。東郷は最初に立ち向かった権兵衛が槍を叩き折られてしまう場面を描いたときに、「大太刀の手間はこれである。刃先の勢いをつけるためにはどうしても一動作多く必要になる。権兵衛はその隙に逃げればよいのだが、足が竦んで動けない」と描写した。ま、その絶体絶命の瞬間にやはり大太刀遣いの新八郎が飛び込んでくるわけです。決着は、新八郎の大太刀の突きが物打あたりまで鬼蔵人の胴のスキマに入って動きが止まったところに権兵衛が飛びついて打刀を腰に構えて体当たりして抱きつき草摺(太ももや下腹の防護具)の間を三度突き刺してしとめるんですね。で、そこで精魂つきてる権兵衛に代わって、従者の三郎が「自分の鎧通しを抜き、蔵人の首筋に突き刺して左右に引きまわした」・・・・なんかイスラム国のビデオみたいな描写だけど、まあ実際の戦場ってのはそういうもの、リアルに絵にしたらかなりに吐き気もので、普通のお気楽マンガ読みはそこでげんなりして読むのを止めるでしょう。イスラムビデオをほとんどの人が見ないように。文章で書かれればなんとか読めても・・・・・うん、書いてて気持ち悪くなってきたので、追記もこの辺にしておこう。

武内涼「妖草師」徳間文庫 2014年 660円プラス税

上田さんの妖怪に比べると、アイテムでしかない妖しの草の数々を使って戦う陰陽師ものと言えるかな。京都の陰陽寮系の公家くずれの庭田重奈雄と後世文人画人として有名な池大雅、同じく後世化け物画家として時代を先取りしていると評価される曾我蕭白の三人組が京都のあやかし草事件を解決していく話です。
池大雅蕭白の人物造形がたくみすぎて、タイトルロールの庭田重奈雄がかすんでるような気がするのは、まだ一作目で魂が入りきってないせいかもしれません。lol
事件は、売れる前の池大雅の世過ぎの骨董店の壁に赤い苔が繁殖し始めたことから始まります。この苔、ほうっておくとそのうち実際に火事になるという妖草。この事件を解決して池大雅と庭田重奈雄のつきあいが頻発する妖草事件の中で進んでいくという趣向。そのうち、庭田個人のかなわなかった恋物語の相手の紀州家への復讐妖草事件へと妖草師はまきこまれて江戸まで出かけるはめになるんですが、ま、それよりも、江戸儒学のゆがみというか、現在のブラック企業風土体質の元みたいなものに、武内が言及するところの方が面白いです。
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徳川幕府朱子学を支配原理としてもちいた。
・・・・・・・
(真の儒学は、主君が誤った時−−−主君に反抗し、正しい道をしめすことこそ−−−忠だと教えている。主君の命令に盲目的にしたがうことが・・・・・忠ではないのだ)
だが、当代の侍には・・・・自分の頭で物事を考えず、主君の命令を機械的に実行することが忠だと勘違いしている輩が、多い。
(主君がどれだけ間違えていても、臣下は鉄の忠誠をつくさねばならない−−−このような思想は、儒教の本場、中国では異端の教え、隋の時代につくられた、ろくでもない書物・古文考経孔子伝の中に出てくる、ろくでもない思想なのだ)
隋の時代−−−漢の時代の書物として捏造された、書物・古文考経孔子伝には・・・・・次のような、思想が書かれている。
君君たらずとも臣は臣たらざるべからず−−−お前の主君が、どれだけ非道な人物、どれだけ残虐な暴君であっても、お前はその主に、絶対の忠誠をつくさねばならない。
父父たらずとも子は子たらざるべからず−−−お前の父親が、どれだけ異常な暴力をふるってきても、どれだけはちめちゃな父親であっても、お前はその父に、絶対の服従をしなければならない。
この思想、儒教の本場、中国ではすぐに消えてなくなった。ところがなぜか・・・・・江戸時代の日本の侍たちの間で、流行っていた。
(勿論、孔孟の書をちゃんと理解し、このようなまがい物の思想が儒学ではないとわかっている侍は、しかといる。だが・・・・・それがわかっていない侍、自分の頭で何も考えられん侍が、ふえてきているのだ。
これほど−−−命令を出す馬鹿殿連中に、都合のいい事態はあるまい!)
kokomade-----------------------------------------(p.164-166)
現代は忠の見返りにはした金みたいだけどね。lolol
蕭白論も面白いのだけれど、もう書く根性がない。久々に長く書いたらバテてしまった。
蕭白池大雅と庭田が東海道を上るくだりに書かれてあるのでそこを読んでくださいな。
272ページから273ページにかけてです。