Mystery Paradise

元は今はなきアサヒネットのmystery paradise 会議室の分室のつもりだった。haha

005 辻番所の食事 続

「悪滅の剣」by 牧秀彦 光文社時代小説文庫 2005年 552円+税

落し卵の根深汁

『あがりや』のお峰さんというのは、朝と昼の食事で余った分は握り飯にして焼いておき、夜に小腹を空かせた客がいると無料でふるまうような人柄だから、幼馴染の佐吉親分が飯台で眠ったのに、ねんねこをかけて眠らせてやって、朝飯まで用意してくれるのです。

>「朝ご飯、食べておいきな」
>・・・・・
>やや固めの炊き加減は、こどものときから変らない、お峰の好みである。
>熱々の根深汁には卵がひとつ、落しこまれている。
>半煮えの黄身を潰さないようにしながら佐吉は一杯目の飯を平らげ、おかわりを
>運んでもらったところで、そっと突き崩す。
>刻み葱と黄身の溶け合う旨みをおかずにしての二杯目は、また格別だった。
>「おいしかったかい?」
>ほうじ茶を置きながら、お峰は微笑みかける。

で、佐吉親分は、ちょっとぐらりとくるのだが、なにせハードボイルドな岡っ引稼業ってのは危険がいっぱいで、足を洗わないかぎりお峰を安全に幸せにしてやれないとしっているので、目に感謝をこめて見上げるだけなんですね。せつないなあ。
でも、落し卵の根深汁って、ぼくもよく料るけど、けっこうむずかしい。オムレツを料る方がずっと簡単だと個人的には思っています。

納豆の食べ方

男所帯の留蔵と弥十郎の朝食といえば、こんな感じ。

>例によって近所でも早起きの煮売り屋から炊き出してもらってきたらしく、
>おひつ一杯の飯が箱膳の脇に置かれている。
>膳の小鉢には、弥十郎の大好物の納豆が取り分けてあった。稽古で汗を流して
>いる間に振り売りの行商人から一藁、贖ってくれたらしい。
>「たっぷりあるぜ。安心して食いねぇ」
>長い足を組み、あぐらをかいたとたんに弥十郎はにやっと相好を崩す。
>大振りの茶碗に湯気の立つ飯がたっぷりと漏られ、火鉢で煮たてた豆腐の味噌汁
>が塗椀に注がれていた。
>さいの目に切った豆腐は、昨夜のうちに朝餉用として、よけておいたぶんである。
>熱々の飯と汁に納豆が加われば、一日の活力を養うには申し分あるまい。

まあ、ここまでは、舞踏派の朝飯と変らない。もっとも熱々は汁だけで、玄米は冷飯なんだけど。

>一つまみの粗塩を、納豆にぱらぱらとふりかける。
>留蔵は、つくづく不思議そうにつぶやく。
>「毎度のこったが・・・・・・お前は、妙な喰い方をするもんだなぁ」
>江戸の庶民の例に漏れず、留蔵は辛子を入れて箸先で掻き回し、醤油をひと垂らし
>しただけで食するのが常だった。
>一方の弥十郎は、納豆を飯の菜にするときは塩のみを用いる。
>たまたま青のりが手に入った場合は混ぜ込むこともあったが、醤油を落とすのは
>焼いた餅にくるんで食べるときに限られていた。

たしかに、納豆は醤油をたらして食べる。最近、キムチをまぶしてという新しい食べ方が気にいったけど。

>納豆の本場である水戸の地においては、ごく当たり前の食習慣なのだが、上州生
>まれ四十年来の江戸暮らしを続けている留蔵には、まったく縁のないことだった。

というんで、やってみたら、意外にあっさりして、納豆の味が強くなるんですね。だから、良い豆じゃないとだめで、匂いも醤油と辛子で食べる時よりも、強いから、好みですね。酒のつまみには塩だけのほうが、いいかな。

湯豆腐

湯豆腐といったら、池波正太郎が生み出した藤枝梅安のバディの彦さんだが、池波作品の料理は、それだけで一冊本があるくらいだから、わざわざ紹介するには及ばないと思うので触れません。
この話では十四才のお美代が父親の田部伊織に用意した鍋です。

>九尺二間の裏長屋には、土間を除けば四畳半の畳の間しか設けられていない。
>狭い部屋で箱膳を向き合わせ、田部父娘は黙然と箸を動かしていた。
>「父様(とうさま)、お代わりを」
>「うむ」
>すっと差し出す茶碗を、娘は微笑みながら受け取る。
>・・・・・
>田部家の献立も、今夜は豆腐だった。
>昆布を敷いた土鍋の中では、湯豆腐がふわふわと煮えている。
>一滴も酒をたしなまない伊織だが、冬場と梅雨の冷えこむ時期に供される湯豆腐は
>何にも増して好物だった。
>諸白(清酒)の肴にするのが一番なのだろうが、よく出汁の染みたところを茶碗の
>飯に混ぜこんで醤油を垂らし、しゃぶしゃぶと掻っこむのがまた、堪えられない。
>養父母からは武士の子らしからぬ振舞いだと激しく戒められてきたが、この習慣
>ばかりは幼いころから、一貫して変わっていなかった。
>「そうして豆腐ご飯を召し上がっているときの父上は、本当に幸せそうですね」
>「左様か?」
>「まるで、こどもみたい」
>美代が、くすっと笑った。
>「三つ子の魂百までと言うが・・・・・こればかりは老いるまで変るまいよ」
>苦笑を返しながらも、伊織は嬉しげだった。

たしかに、豆腐を冷奴でも湯豆腐でもご飯とかき混ぜて、醤油をたらしてかきこむのは、おいしい。それから、一歩すすむと、胡麻油かオリーブオイルで豆腐を炒め葱を加えて、塩をふったのを冷飯にのせる、現在のぼくの好物の一つです。醤油でもいいのだけど、オリーブオイルの時は塩にかぎるのですね。

船頭飯

これも田部父娘の献立。

>「お帰りなさい、父上」
>長屋では、娘の美代が夕餉の仕度を調えてくれていた。
>今夜の献立は、船頭飯だ。
>皮のまま四つ割りにした蕪を崩れるまでに煮込んだ味噌汁を、丼に盛った飯に
>ざぶざぶとかけただけの簡単きわまるものだが、これが驚くほどに精が付く。
>四年前に江戸へ居着くまで六年の間、まだ幼い娘を連れて諸国を流浪していた
>当時に立ち寄った、西国の漁村で教わった料理だった。
>飯に汁をかけるのは「みそがつく」と言って、炭坑などの危険と隣り合わせの
>現場では殊の外に嫌われるが、蕪を切り割って煮崩れさせた味噌汁だけで何杯
>でも食べられ、おまけに体力が付くことから、船上での手軽な賄い飯として
>重宝されていた。味噌は沸騰させると旨みが損なわれるが、船頭飯に仕立てる
>ときは煮込んだほうがむしろ良い。
>「旨そうだの」
>膳に就いた伊織は、久しぶりの芳香に目を細めた。

まあ、これも旨い。出汁を魚の骨でとったりすると特に旨い。蕪の代わりに、トマトでやっても(缶詰のトマトなんか最高)においしい。トマトの味噌汁は、冬は熱いのを、夏は、冷蔵庫で冷して冷飯にかけると、これまた、絶品なんです。

池波は、指示して妻に料らせていたようだけど、牧の場合は、男の手料理であるのが、この一汁一菜どころか、ぶっかけ飯であるのを見ても明白。

前回書いた根深汁で思い出した。池波の剣客商売に息子の剣客が独身時代の飯が毎日根深汁とご飯のみだった。通いの婆様につくってもらっても、こうシンプルなのは、秋山大治郎が貧乏だったからです。でも田沼のお抱え剣術師範となって、田沼の娘と所帯をもってからは、こんな独身簡単飯とは、おさらばなのですね。その田沼時代から、松平定信の保守反動時代を経て、水戸の幕末保守反動政治家徳川斉昭が「保守門閥派」を抵抗勢力として排除して、藩主に治まった年からこの物語ははじまっているのです。

というところで今夜はおしまい。

ミステリ舞踏派久光