Mystery Paradise

元は今はなきアサヒネットのmystery paradise 会議室の分室のつもりだった。haha

日明恩 「ギフト」、西岸良平 「虹の橋」

あけましておめでとうございます。

晦日に書いて、一日一記事で休みの間は書こうと思っていたのに、食べすぎから来る高血圧で寝込んでしまい、一年の計は、一日で崩壊してしまった。。。LOLOLOL
ま、それでも寝そべりながらたまっていた本を数冊片付けたのです。そのうちの一冊が「ギフト」

日明恩「ギフト」双葉文庫 2011年、714円+税、初出 (株)双葉社 2008年

元刑事の須賀原はビデオレンタル店のアルバイト店員をしながら、世間の目から隠れるように生きている30代。その須賀原の店にDVDを借りはしないのに、毎日のように来ては「シックスセンス」のDVDを手にとって涙を流している少年が現れる。その須賀原がスーパーマッケトの帰りに、少年が交差点を赤信号で飛び出そうとするのを、反射的に捕まえた。その腕をつかんでいたつかの間に、『目が覚めるような明るい緑とオレンジ色が複雑に混ざった柄のワンピース。その服装から若い女性かと思いきや、いたのは白髪頭の老女』を見た。その老女は見る見るうちに『交差点から振り向いてこちらを見ていたはずの老女が、俺達のすぐ側にいた。それも頭と身体の左側がぐちゃぐちゃに砕けた血まみれの姿』に変わる。『老女の唇が動いている。何かを呟いている。俺ではなく、少年に向かって何度も繰り返している。だが声は聞こえない。老女がわずかに頭を左に傾げると、砕けた頭蓋骨の中から何かがずるりとこぼれた。原形を留めていない左肩の上に落ちた血まみれの柔らかそうな物体が、そのままワンピースの上を伝わり落ちていく。同じような状態になった人体を、俺は知っていた。』須賀原は目の前に事故が起きてないと思う一方で、彼女が見えているのに戸惑うが、少年から手を離した『瞬間に、老女が消えた。』

うん、ここで、いつもの日明風青年成長小説ミステリの元刑事ハードボイルドのつもりで読んでいたのはマチガイだったと知ることになる。なんだ、ホラーファンタジィなんかを日明が書いたのか。見えないものが見える少年、gift のあるDanny坊のThe Shiningみたいなもんか。。。と、頁を閉じて二週間ほどうっちゃっていたのを、ストックを全部読みつくしたのと、布団から出られなかったことも重なって、再びチャレンジしたってわけです。(ホラーは苦手なんですねえ.ドキドキしすぎると血圧が上がるもん。Lolol)
で、読み通してみると、この幽霊というか成仏しない霊が見える少年明生と須賀原が共同で、さまよう霊を成仏させていくのですね。最初は、老女、次は犬、7歳くらいの少女、自殺したにもかかわらず周囲に殺されたという勘違い嘘吐き身勝手女(これは成仏しないんですが、ま、納得のいく地上居残り霊に落ち着く)、最後に須賀原が退職した原因になった自転車泥棒職務質問を受けて逃げ出し、追われるままに車道に飛び出して死んだ中学生。
明生の見えるgiftのせいで、崩壊した家族と明生の人生の立ち直りと、須賀原の追いかけた中学生とその両親の精神的救済、須賀原自身の再生が、同時進行して語られるところは、やはり青年成長小説家日明恩の世界です。
感動的なちょっと苦い味もないではないハッピーエンドに引っ張っていく日明の力量はすごいなあ。
ただ、7歳の少女美沙のエピソードは苦いです。7歳で自宅の池に浮かんだ少女が、その弟を心配して地上にとどまっているという物語の背景の絶望的暗さは、ちょっと苦すぎる。それでも、彼女は彼女の年をはるかに越えた弟を立ち直らせ成仏していくんですが。
同じような、話が「三丁目の夕日」シリーズにもありましたね。

西岸良平 「虹の橋」(月イチ三丁目の夕日「お手伝い」2011 小学館 330円)

母親に勉強しろと尻をはたかれまくっている高校三年生の洋一郎の一日体験。両親と口げんかの果てマンションを飛び出した洋一郎が歩道橋の上から虹を見つめていると、宙に浮かぶ小学生の少女が横に現れ、『虹の橋はタイムマシンなのよ。私と一緒に過去に戻ってみましょう』とタイムとラベル。そこで父親の小学校時代(もろ昭和30年代初期)中学校時代、定時制高校時代、最後に万年係長に終わりそうだが会社の中で人に慕われている現代とめぐるうちに、洋一郎は父親を理解して、家へ戻っていく。戻った家で古いアルバムの中に洋一郎は少女を見つける。横に写っていた父はまだ小学校に上がる前だった。父に聞くと十歳で亡くなった姉なのだと洋一郎は知る。
日明の話に比べると、御伽噺ですが、両者とも「狐疑孤独を抱え込んで、自暴自棄の果てにダークサイドにおちないでね」というメッセージが伝わってくるようです。
ギフトのエピソードの中で美沙の物語はちょうど真ん中に位置します。苦さも残りの200頁で浄化されてしまうのは、そのエピソードを並べる構成の巧みさにあるようです。やっぱり、すごい書き手です、この語り部は。

Great Black Kanba by Conyth Little,1945

あっというまに、年末になってしまった。書くことはいっぱいあるけど、書いてる余裕がないヘタバリクタバリ労働の日々だった。。。ま、単に年老いてパワーがなくなったというだけなのかもしれない。
今読んでるのは、John Hart のDown River、386頁の228頁。逆井辰一郎の「雪花菜の女 見懲らし同心事件帖」。昨日読み上げたばかりのホヤホヤが日明恩の「ギフト」。で書こうとしているのは、コニス・リトル「記憶をなくして汽車の旅」。それでは行こうか。

コニス・リトル「記憶をなくして汽車の旅」三橋智子訳、2008、創元推理文庫東京創元社 50円、定価720円+税

Great Black Kanba by Conyth Little,1945
腰巻に曰く、わたしは誰?終点は?オーストラリア横断列車はおかしな乗客と怪事件でいっぱい。発掘!鉄道ミステリの傑作。
うん、実に内容とはそぐわない派手な腰巻です。鉄道ミステリマニアってのがいるとしても、この内容では、うむむ、もうちょっと鉄オタクをまんぞくさせるような、鉄道知識がちらばめられてくれたらなあと思うだろう、かもしれない。Lolol.
ストリーは単純で、20歳台と思われるブロンドの美女がオーストラリア大陸横断鉄道の列車の中で自分が記憶喪失になっているのに気づくところから始まる。スーツケースの中身の書類から、彼女の名前はクレオバリスター、ハリウッドで売れなかった女優の卵という派手な女として、周囲は扱ってくれているが、本人は自分が別のにんげんではないかという疑問を持つ。なぜか旅の同行者として、奇矯な老人とその遺産目当ての一家にくわえて、「旅の婚約者」役クライブ・バトラーという精神科医(らしい)に、ジミーというクレオが遺産の元の持ち主の親類の階段転落の死亡事故の際、パースへ、赤毛に染めてやって来ていたのを目撃して、クレオが殺人犯人と確信して結婚しろと迫る男もいる。シドニーでどうやら、網棚のスーツケースで頭を打って記憶喪失になったらしいが、その時同行者がいたらしく、そちらは腕を怪我して病院に運ばれたという。その女、バージニア・ピーターズが途中から乗り込んできて、一行の男たちを悩殺にかかるが、旅の途中でクレオのコンパートメントで喉を剃刀でかき切られて死亡する。犯人としてクレオが疑われるが、州境をこえてしまったため、警察も逮捕できないというのが1940年代のオーストラリア。
ま、謎は、最初の遺産保持者の老人の死の謎をクレオが解くことから、犯人の自白につながって解決するのだけど、その謎解きより、「私は誰?ひょっとして殺人者?」というヒロインの恐怖サスペンスの方でミステリの雰囲気が染まるのだけれど、大工仕事が大好きなちびっ子の姪、アイリーンと奇矯な金持ちアンクル・ジョーの行動言動でコージーミステリ風味もたっぷりと味わえるのです。
検索してたら、イギリスのミステリマニアが3ドルで、同じ作者のBlack Irisの初版本を手にいれた記事を見つけました。かの国の半世紀を隔てた読者は曰く、ミステリとしてはアクロイド殺しなんかと同時代だけど、それと比較するのはやめよう、なんせ古本屋で3ドルだったんだから、その値段からしたら、極上に楽しめますよ、と書いてました。
うん、舞踏派も同感。こっちは、もっと安く50円だもん。できれば、英語版で出会いたかったなあ。
森英俊が解説を書いていて、なかなか読ませますが、作者については、「翻訳ミステリ総目録 1916-2005」というサイトが便利です。
http://www.ne.jp/asahi/mystery/data/WD/EW/EW_RI03.html
によりますと、この作家は1930、40年代に活躍したビッグネイムですが、現在は忘れられてしまったようです。海外でもマニアが、古本屋を探しまくって読む作家のようです。
Gwyneth Littleと Constance Littleの姉妹の合作で、名前もCon+neath でconyth Littleと合体していたみたいです。オーストラリアに生まれ、若くして作家になり、50代で稼ぐだけで稼いで隠退して、二人で自作を地でいくような旅の余生を送って(世界一周も3回もやってるとか)イギリス、アメリカ、メキシコで暮らして80過ぎて亡くなったとか。作品名は、かならずblack が入っているところがミステリらしい。この作品の原題は、イギリスで出た時はBlack Express. アメリカで出たときは、いかにもエキゾチックな Great Black Kanba(アポリジニ伝説に出てくる、黒い大蛇で、アポリジニは鉄道列車をそう呼んだそうな。すると新幹線をみたらGreat white Kanba と叫ぶのかなあlolol)。1940年代ですから、電車ではなく列車、蒸気機関車で引っ張られてます。その煙の話は、全く出てこないのもちょっと、今の時点で見るとつまんないかも。
イギリス版のBlack Express の表紙は、色刷りの絵の機関車。これがいいんですねえ。ネットで注文しようかなあ。20ドルくらいだから。
鉄道ミステリらしい、趣向は目次の上の作品中に出てくる停車駅一覧で、翻訳はカタカナなんですが英語で書くとこんな感じ。

                • Stations in the Great Black Kanba(Black Express)------

(Brisbane---Sydeny)Albury---Melbourne---Adelaido---Portpirie---Port Augusta---Wilamina(Wilhelmina?)---Tarcoola---Burton---Rawlinna---Kitchener---Zanthus---Parkeston---Kalgoorlie---Perth
http://www.railpage.org.au/railmaps/

これをグーグルの地図で追いかけると、オーストラリアの広さが実感できますが、(せっかくの正月休みの6時間をこれでつぶしてしまったlololol) ウィラミンナというPort Augusta とtarcoolaの間の停車場が見つけられなかった。いくら拡大しても、停車場しかない駅もあったから、今は廃駅なのかもしれません。(作品に出てこない駅もいっぱいあります。そんな駅名の一つからさらに検索したら、一度廃駅廃タウン状態になったのが、中国資本が買って鉱山再開発なんて生臭い話まで読めたりもしますlololol)ま、たいていの停車場の横には滑走路だけの空港があるので、そっちの方が便利なんでしょうね。
Tarcoolaなんかは、最近できた南北縦断鉄道(これが世界中の鉄ちゃんに人気でいつもキャンセル待ちの満員なんだとか)は、ここから、分岐するんですが、かなり拡大しないと、なんにもない砂漠の中です。じっさい、夏場は平均40度の気温で48度なんてのも記録されてるとか。でも、夜は20度くらいに下がるようで東京の方がずっと暑いようです。ま、そこらへんも、クレオが帽子を被らずに(他人の名前と帽子と気がついて、その下品な色に被らないのですが)、現地人たちからは、小娘のアイリーンからまで、頭が焼けちゃうよと避難される始末。でも、クレオは、カリフォルニアでは被らないのが流行だなんて、戻りつつある記憶から反論するんです。うん、灼熱の旅情ですねえ。
あとの地名は、確認できますので、是非バーチャルなオーストラリア列車旅を。。。時間がたっぷりございましたら。。。LOLOLOLOLOL.
最初は、5ft3in の1600mm軌間の線路で、途中乗り換えて、4ft8 ½ in の新幹線と同じ標準軌になり、最後は、3f6in のまた狭く感じられますが、これは、我々もなじみのJR在来線の1067mmなんですね。この植民地州ごとに意地の張り合い騙しあいの結果のばらばらさは、この作品の中でもコミカルな議論の種になってますが、技術的な話はそれだけなんですねえ。
ま、今日は31日、けっこうやることがあるので、この辺で。
みなさま、よいお年を。

012「緋色からくり 女錠前師 謎とき帖一」田牧大和、「お医者同心中原龍之介 冬亀」和田はつ子 

古今東西、官僚組織が腐り始めると、役人は公僕の概念を喪失して公職の私物化に走る。仕事は組織維持(組織外一般人の疎外)のための最低限にとどめて、自己保身と自己利得の増大が行動原理となる。武家社会というのは、もともとその武力による手柄で自分の土地を保証してもらうという構造になっていたから、戦争が消失すると、手柄は役目による成果であり、自分の土地は即ち知行=サラリーの保証となるはずなんだが、手柄が金集めて上級組織者への付け届け、知行は貨幣経済の進展とともに相対的に低下して、組織外へ利便を図ることで収賄を取るのが当たり前になる。その腐敗堕落の程度をどの程度にするかというところで、組織と人間の物語が新たな側面を見せる・・・・・この二人の作家は、その人間=ヒーロー達の舞台をあらたに作り出して見せている。

奉行所の役職名を並べておきましょう。

用人(ま、奉行所内の役ではなくて奉行の家臣の秘書ですね)内与力(10名)年番方(与力3名、同心6名:人事部ですね)当番方(与力3:庶務課、年寄り同心3、物書き同心3平同心全員)用部屋付(同心10名:用人付で秘書課とでもいうべきかな)両御組姓名掛同心(南北与力同心の名簿の管理役)吟見方(本役4、助役4見習い2)例繰方(与力2、同心2)赦帳撰要方人別調掛、御出座御帳掛(同心2)、定町廻り(同心南北計12)、定町廻り方御供中間、臨時町廻り(同心南北計12名)、隠密廻り(南北計4)、非常取締掛(与力8、同心16)、昼夜・風烈廻り(与力2同心4)、高積見廻り、町火消人足改(与力2、同心1、冬季増員)牢見回り(与力1、同心2)町会所掛、養生所見回り(与力1、同心2)市中取締諸色調掛、御肴青物御鷹餌下掛、古銅吹所見廻り、定解同心、定中役同心、下馬廻り(同心6)門前廻り(同心10)定橋掛(与力1同心2)本所掛(与力1同心2)町奉行所附き中間・小者(中間、南北計350、小物数十人)http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/matibugyo.htm
この他にも、猿屋町会所見廻り(与力1、同心2)人足寄場定掛、硝石会所見廻り、御出座御帳掛同心、定触役同心、
(「江戸町奉行http://homepage1.nifty.com/kitabatake/edojob3.html)がある。

「お医者同心中原龍之介 冬亀」和田はつ子 講談社文庫 2010年 552円+税

2010年3月に始ったシリーズで、「猫始末」「なみだ菖蒲」「走り火」「冬亀」「花御堂」と出ている。ホームズ役は、定中役同心中原龍之介、定廻同心の次男で、若くして剣才を謳われていたが、馬医者になろうと練馬の医者のところに住み込んでいたのだが、ある夜凶盗が実家の役宅を襲い父母から家族が皆殺しに会った。跡を継ぐことになったが、評判の腕利きのくせに当夜家にいなかったのはけしからぬという、ほとんど言いがかりに等しい理由で、定廻には菊池という同心がつき、龍之介は定中役という「臨時のときに対応する職。臨時におきた事件等に必要な職務に従事し、出役などもおこなった。定員は2人」(上記リンク「江戸町奉行」)詰所が厠側なので、別名厠同心という閑職につかされる。自宅で待機しているような役というのが和田の設定で、龍之介は、その有り余る時間をつかって、香草を使った人間・動物を問わずに治療するハーブテラピィ医業をはじめた。助手役に父についていた岡ッ引の二代目で龍之介とは幼馴染の桝次が無駄肉の全くないマッチョマン岡ッ引として登場する。桝次は菊池から札をもらっているにもかかわらず中原邸に出入して龍之介のハーブガーデンの面倒を見ている。
ワトスン役として酒屋の長男松本光太郎が父親に同心株を買ってもらった定町廻同心見習いとして登場する。恋女房というか、趣味の草双紙で結びついたおたいと、順調に人生が始ろうとしていたのである。最初の一月は。親に金があるので、周囲は、その実家の金を目当てに(要するに付け届けが欲しいから)大事にしてくれていたが、ある日仏像泥棒を取り逃がしたことから暗転する。龍之介がたまたま通りかかり、人質の幼女を無事救出してくれたもの、龍之介は幼女救出のみでよしとして犯人逮捕に興味がなく、光太郎が仏像を手にしたのを見て犯人を見逃がしてしまう。つまり、同心二人で犯人を取り逃がしたという形になった。これだけなら、奉行所内の話でおさまったのだが、光太郎からその話を聞いたおたいは幼馴染の瓦版屋に光太郎の手柄として話して世間に旦那の手柄を広めようとしたのだが、瓦版屋は、裏を取って、金で成り上がった同心の不始末という話で売ったのである。面目を失した奉行所組織は、光太郎を定中役に回した。奉行所に出所も及ばずという事態に保身第一の組織人間ども(同心・与力)は手の平を返した。一人も言葉だけでも慰めてくれるものもなく、口も聞こうとしない。(ま、時代を問わず、この国じゃあ、どこにでもある話ですねえ。lolol)
光太郎はふてくされて、定中役筆頭(二人しかいないけど)中原邸に挨拶に行って、杉ノ介という犬と仲好しになったものの香草の手入れの手伝いもする気もなく、自宅でふて寝していたが、杉の介が毎朝、おたいがくれる干し芋を目当てに光太郎を迎えにくれば、のこのこついて行くという体たらく。

この三人と一匹が、たまに年番与力筆頭で龍之介の患者の島崎が持ち込む事件に遊軍としてかかわっていくというのがパターンなんですね。最初の三作で、中原家皆殺しは奉行所内部の腐敗した組織を父親が暴きかけていて、兄も腐敗与力と結んだ凶賊を手入れしかけていたのを妨害するための奉行所幹部と狂盗、裏社会が手を組んだ事件だったと判明、龍之介は光太郎の助力もあって全てを暴き出し、黒幕の与力二名は処分され、結果として敵討ちとなったが、黒幕へ追従した与力同心達を処分すると組織がなりたたなくなるため不問となり、奉行所の腐敗体質はあいかわらずのまま、龍之介と光太郎は定中役同心のままで、第4巻「冬亀」となる。
この第4巻から読み出せば、普通の窓際同心捕物帖として読めます。正直に書くと、少々うんざりするくらいの暗い影が消えた龍之介がちょいと変わり者の探偵役に変身して、さあ、こっからがエンタテインメント。
事件は、空火事騒ぎを起こして、その間に空き巣を働く連続窃盗事件。腐敗しきっている奉行所組織は、相変わらず根性曲りのヘボ刑事役の菊池同心がまわりを怒鳴り散らしながら動き回っているだけで、全く解決のめどがつかない。年番与力の島崎が二人に定中役「臨時廻り」を仰せ付けて(もともとそういう役なんですね)龍之介・光太郎・桝次トリオが動き出す。連続事件と見えたものが、龍之介の慧眼で別々の三つの事件と次々に判明解決していく流れは痛快です。
風邪で寝込んだせいもあって、5冊を四日で読んでしまった。LOLOLOL.
脇役の狼顔の犬に凶暴鶏、白猫、小ネズミ、亀。。。。これって佐々木倫子の「動物のお医者さんと同じだなあ。とするとマンガ化のときは、佐々木倫子で決まりだな。LOLOLOL.
干し芋とハーブ」で[cuisine]を近々書くつもりです。

「緋色からくり 女錠前師 謎とき帖一」田牧大和 新潮文庫 2011 476円+税

女なんとか。。。というシリーズはあんまり手に取らないことにしてるのだけど、カバーの村田涼平のどこか太った犬にも見えるような大福(ヒロインの猫です)の絵とカラクリ錠の絵に引かれて買ってしまった。風邪で熱が出てなきゃ買わなかったかもしれない。Lololol.
読み出したら止められず、とまらない咳で筋肉痛になりながら読んでしまった。いやあ、この作家おもしろい。
探偵は、男言葉の錠前師、父親の跡をついで「『緋』錠前」を作り、開錠を生業にしているお緋名。この緋錠前は、錠のどこかに「緋」と一字彫りこまれている。それを目にした盗人は、そこで開けるのあきらめるという名人物。
四年前、姉のような志麻が、その子どもの六歳の孝助を連れて髪結いに回った得意先で凶賊に殺された。志麻は、孝助に、己の鬢盥(びんだらい)と金を託し、その一番下の引き出しを緋名おばさんに開けてもらうように指示してから、息子を水甕に隠して殺される。孝助は割れ目から犯人の顔を見て覚えて、犯人が立ち去ったあと、鬢盥を引きずって逃げた。緋名のもとへ母親を助けてもらおうと篭を使ってたどりつく。緋名は、孝助から状況を聞き、引き出しの中身を調べたあと、孝助を奉行所にも報告もせず、隠してしまう。(何故通報しなかったかといえば、奉行所の腐敗度が「お医者同心」シリーズと似た様な深刻さで、引き出しの中身を見たお緋名は奉行所内に共犯者がいると思ったからなんですね。)志麻の夫は岡ッ引でやはり殺されていた。志麻はその敵をとろうとして、深入りしてしまったわけです。ところが、奉行所は、得意先の商家の女の痴情のもつれの殺人事件として、正体不明の犯人を手配して事件は未解決のままになる。下女と志麻は巻き込まれたという見解だった。女主人は何度も刺されていたのに、下女と志麻は一太刀だったから。
孝助は緋名の幼馴染で志麻の愛人の髪結いの甚八が、息子として引き取って育て始める。この甚八が人形首のいい男なんですね。ま、それ以上に女錠前師の登場場面が粋なんです。
Kokokara-----------------------------------------------------------------
日差しに暖かみが残る晩秋の午、江戸の町を背の高い女が颯爽と歩いていた。
年の頃は二十四、五といったところか。目許涼やかで色白の、きりりとした美人だ。すれ違う人々が、思わず、といった態で女へちらちらと視線を遣っている。人目を引いているのは、姿が美しいからというだけではなかった。艶やかな黒髪をきゅっと櫛に巻いて留めた櫛巻きの結い髪を彩るのは、鴇色の小さな玉簪がひとつ。花色の青も鮮やかな縦縞の小袖をいなせに腰ではしょり、すらりとした足には藍の股引、廻り髪結いが持つ鬢盥のような道具箱を手にしている。
男か。
いや女だ。
to------------------------------------------------------------------made.
お緋名が訪問した仏具屋は、道楽者の主人が突然なくなって、鍵があけられないものがあると依頼してきたもので、緋名が見ると父親の作。緋の字は入ってない。(あとでわかるのだが、からくりを緋名が担当したものにのみ、父親は緋と入れていたのだった)懐かしい父親の作を緋名は簡単に開けて、番頭と父親の思い出話にふけったのだが、ここから、緋名のまわりにきな臭さが漂いはじめ、甚八は、緋名に用心棒をつける。現れたのは堤康三郎という得体のしれない牢人だが、大福が気に入ったので、離れにおいておくことにした。
そのうち、二人が留守の間に空き巣狙いが入り、甚八の髪結床にも入られる。知り合いの辰巳芸者に頼まれて、商家の道楽息子に引導を含める役目を男装してひきうけたりするうちに、事件は一気にクライマックスへなだれこんでいく。ところどころ、うん?とひっかかることもないわけではないけど、この緋名のキャラが立っていて、いっしょに事件の中を突っ走って解決へ踊りこむようなスピード感は、That's entertainment!
あ、また新刊で買う作家ができてしまった。LOLOLOL.

006 「ライアンの娘」坂田靖子 (株)復刊ドットコム 2010年 952円+税

久しぶりに坂田靖子のマンガが三冊積まれていたのを速攻で買ったのは、8月だったか、七月だったか、とにかくこの夏のことです。で、この「ライアンの娘」は、1991年にプチフラワーで連載されたのだそうだ。坂田靖子マニアとしては、当然買ったはずなのだが、記憶にない。腰巻をよんでみたら、「初単行本化」。株式会社復刊ドットコムうん、マニアックな出版社であることですねえ。
ま、ダバダバ・ライアンという女の子と父親の発明家ライアンさん、洗濯機アンドロイドのお母さん、愛犬エルサルバドルの家族が、引っ越してきて町に起こるほのぼの珍騒動っていう、いかにも坂田靖子ワールドな話。坂田靖子のファンなら、見たとたんに財布をはたいても買うだろうけど、ファンでなければ、パス。。。というか目にもはいらないかもしれない。
万年床枕元の積読山脈に(そろそろ片付けないと冬支度が不便になる)置いといたのを寝る前に半睡寸前でぺらぺらまくってたら、あれ、と思った。ライアンの娘の扉絵の走ってくるダバダバが、ナンバ走りなのですねえ。がばりと目が覚めた。。。あ、いや、がばりと起きたので、目が覚めてしまった。走ってるシーンと歩いてるシーンを探す。すっかり目が覚めてしまった。 ここも、ここも。。。ナンバ走りだあ。(ちなみにナンバというのは、右手と右足、左手と左足を出す体を捻らない歩き方で、日本人は江戸時代までナンバに体を使っていたという。これで走るのには、手の振りが邪魔なんで、災害や戦争で走るときには、両手を上にバンザイしてフリーにして、走ったとか。)ほかもそうだったかなと、立ち上がって押入れの(立ち上がれば、本がなだれ込んでいて戸がしまらない押入れなのです)棚の坂田靖子を探してみる。懐中電灯を使うのは、その前に干してある洗濯物のせいで蛍光灯の光がはいってこないのと、老眼鳥目気味のせい。
お、「叔父様は死の迷惑」(ASUKA COMICS 角川書店 1987年 370円)がある。10頁で(ストーリーとしては、4頁目)主人公の小学生で小説家志望のメリィアンが、資料集めでパパが読む前の新聞を切り抜いているのを怒られて逃げている駒がナンバである。ついで、堅物の父方の叔父さんのデイヴィッドがクリスマス訪問するというので大掃除の姉と母から逃げ出して、屋根裏に上がるとそこには、母方のグリーンランドに住んでるはずのカマスシチュー大好きのヒゲもじゃ叔父さん(「死の迷惑」な叔父様)のデイヴィッドがいたので居場所を失ったメリィアンは、怒り心頭で「アクロイド殺し」を読むために家を飛び出す・・・・その駒がまたナンバ。この叔父さんが裸でイングランドの冬をジョギングしてるので、メイリィアンが絶叫する駒が、やっぱりナンバ。
ま、マンガの古典的基本表現というのは、顔はいつも正面向きに書くとなんかで昔読んだから、ついでに両手は、広げて左右に書くほうが自然に見えて、移動の時は、足の爪先が横向いて書かれるから必然ナンバになる・・・・・ということなんだろうけど、最近のマンガは意外にリアルで、両手を振って歩く、走るシーンというのは少ないし、書いても、左足と右手の現代歩行スタイルになってる。
 そういえば、劇画はどうなんだろうと、チェックしてみた。と、言っても、時代ものはほとんど持ってないのですねえ、昔のさいとう・たかおは、ほとんど今風の体さばきで、テレビや映画の時代もののように歩いているように書いているというのを、ナンバを知ったころにチェックした記憶がある。

鬼平犯科帳 おみね徳次郎」さいとう・たかを (原作/池波正太郎 脚色/久保田千太郎SP Pocket リイド社 2008年 300円)

 たまに走ってるときに、今風の駒がないこともないと見られるものがあるけど、ちゃんとナンバですねえ。時代考証はできてるわけです。懐手で歩いてる姿が多いし、手に何か持たせて、今風に見えても体さばきは捻らない歩き方に書いてある。たまに、小さな駒で小さな群集の一人に現代役者がまじったようなのは、これは新人アシスタントの書いた部分なんでしょうね。Lolol.

剣客商売 8」大島やすいち(原作 池波正太郎 リイド社 2010年 580円)

大治郎の弟子の粂太郎が岡ッ引の弥七の家へ走る後姿の小さな駒が、現代子役の走りですねえ。これはやはりアシスタントの絵ですね。「題三十二話 手裏剣お秀」の扉絵が、秋山小兵衛と弥七、その子分の徳が走るのを斜め前から書いてる。小兵衛と弥七の体さばきは、これはナンバ走り。。。うん、弥七の右ひざが曲がりすぎてるような気もする。ナンバ式走りだと、こういう撥ね上げる走り方にはならないと思うんだが、まあ、許容範囲か。でも大島先生、後ろの徳は、現代役者でっせ。(バツ&テリーで書きなれたランニング描写がつい顔出したのかもlololol)それ以外は、時代考証が歩きと走りの体さばきについては、マチガイがない。たいしたもんです。

「猫絵十兵衛 御伽草紙 二」永尾まる (NEKO PANCHI COMICS 少年画報社 2009年 600円+税)

惜しいなあ、大家の二人以上に、ほとんどアシスタントも使わずに書いてるだろうに、小さな駒の小さな絵で、現代子役を使ってしまった。。。「しじみ猫の巻」でシジミ売りで病人の母親と5人の弟妹を食べさせている少年松吉が、冬雨の小川でシジミ採りして引いた風邪を押して売り歩くうちに熱で動けなくなり、十兵衛に助けられて帰宅する。その松吉の帰りの遅いのを案じていた弟妹が駆寄る。。。その駒の小さな絵の次男坊徳二が現代っ子。。。まあ、話が感動的で、倒れた松吉の替わりに懐で温めてやった迷い猫が、シジミを採って売り歩いてくれる。直った松吉が小川へ出向くと、自分そっくりの少年がシジミ採りをしている。お前は誰?と問うと、少年は変身してずぶぬれの仔猫にもどる。思わず抱きしめると仔猫はすりすりと甘えたあと、ニャンと一声、その腕の中から消えてしまう。背負いカゴいっぱいのシジミを見つけて、松吉は仔猫を呼ぶが消えたまま。そこへ十兵衛が現れて、仔猫の正体はこれだと、小さな社に祭られていた猫石を指す。松吉が、シジミ売りの途中でお参りして清掃していた社だった。
え、なんでいつも十兵衛がタイミングよく顔を出すのだと?お尋ねですか。それは、一にペイジ数が理由。もう一つは、猫石が、猫絵師十兵衛を呼ぶんですね。LOLOLOL.

とまあ、最近のマンガ家というのは、勉強家ですねえ。役者の場合は、なんたって体さばきが古流にするのは、難しいし、走れるとしても走る姿は現代風の方が美しく見えるような文化の中で視聴者観客は生きてるから、受けないだろう。たとえ、現代武術を極めても、それは古流とは別物で、例えば子連れ狼中村錦之助のように、現代居合い風の体さばき、剣使いになってしまうなら、いっそ見映えする芸で楽しませてくれる方が実写ものではいいのかも。
でもマンガというのは、なかなかの表現メディアです。石ノ森正太郎が書いたように、生身の人間が演じるわけじゃないから、映画やTVでは表現できないものを表現できるのですねえ。ときには、デフォルメしたリアルさであり、ときには考証の入った歴史的世界も。

007 “We Shall Not Sleep” Anne Perry の第一次世界大戦のティータイム

Ian Rankin “Black and Blue”、Carol O'Cnnell “Mallory's Oracle”、 Janet Evanovich “Motor mouth” George Pelecanos “The Way Home”と6月から読んできて、目下Anne Perry.
部屋ではあんまり読まないから、ほとんど通勤の往復電車の中で読んでるということになる。
Motor Mouthのアメリカン ジャンクフードの紹介も楽しいのだけれど、目下300頁のうちの200頁まで行ってる「もう眠らない」の方が生なんで書きやすい。。。というよりいろいろ調べながら(ネット検索にハマッテる)読んでることを忘れないうちに書いておこう。
話は、第一次大戦のほとんど終わりかけてる1919年10月の西部戦線が舞台で、従軍牧師のJoseph Reaveleyとその弟の情報員Mathew Reveley, 負傷者運送ドライバーの妹のJudith Reveley の三兄弟が最前線の救護センターで遭遇する殺人事件と国際陰謀事件なんです。ま、終わりかけてるといっても、第二次大戦の終盤戦みたいな英仏米カナダニュージランドベルギーオランダその他の軍の一方的な戦況ではなくて、ドイツ軍も頑強に反撃しつつ、西部戦線をじりじり下がり気味に守り続けているという状況。実際ドイツ帝国軍は東部戦線ではロシア革命まで工作して勝ってたわけで、負傷者もドイツ軍捕虜も相変わらず毎日多数後方へ送られているという状況。
第一次大戦というのは、日本じゃあ、戦死一名負傷者一名というほとんど交通事故以下の歴史なんで、よく分ってない戦争ですが、この大戦というのは、「戦争は悪である」という認識がはじめて生まれた戦争なんですね。それまでは、戦争は外交の延長、道義的なbadness は存在しないと軍人も政治家も市民も思ってたんですね。
ま、ここらへんは、以下のペイジが参考になります。別宮暖朗第一次大戦」というペイジです。
http://www3.kiwi-us.com/~ingle/index.html
2chの戦争オタクたちでも、なにせ日本語資料がすくないので、大一次大戦「板」では、この192頁全部を読んでから書き込めというような基礎知識・用語を勉強するにはもってこいのところです。まあ、Anneとは別に関係はないんですが、
「眠らない」の冒頭に出てくる、Ypre とか、 Somme なんてのが、どういうところなのか、よく分りますし、Josephが所属するCambrigeshire regiment、ケンブリッジシャー連隊というのがどういう軍隊構成なのかなんてことが理解できます。ま、キッチナー陸軍と呼ばれる志願兵軍で、その出身地ごとに連隊が組織されてたんですね。だから隣近所の男達が一緒に戦うというまるで、戦国時代の後北条氏一揆衆みたいなものです。そのあたりは、別に記事を起こしましょう。

「パンの耳」heel of bread

Judithが、珍しく夜間搬送がなく朝の四時に折り畳みベッド(cot)から、おき出して、その日最初の負傷者搬入中の看護兵を手伝った後、六時すぎに朝食をとる。そのメニューが、
She drank a hot mug of tea and ate a heel of bread, then she went to help the nurses.(p.154)
実にあわただしい。お茶を一杯とheel of bread のみで、また今度は看護婦の手伝いにでるのである。
電車の中で読んでるときは、パンの耳だろうと思って読んで、夜寝る前に辞書をひいたら、ちゃんと、パンの耳とある。
うん、でも、まさかパンの耳だけ1本というか一個かじっておしまいというのは、物資欠乏の最前線としても、ちょいと少なすぎないか。というので、さらに調べようとすると、今度は4字以上のデータが見つからない。イラスト辞典の仏英版のパンのところをみても、heel というのは、載ってない。でも絵からは、耳に当たるところは、仏語でla croûte 英語で crust とある。それぞれを仏和と英和で確認すると、仏和は、パンの耳、英和はパンの皮とある。
なるほど、ひょっとして、このa heel of bread というのは、カタマリの端っこの一枚のことかもしれないと想像した。それにしても、これじゃあ、日になんども前線と往復して男の兵士たちを乗せたり下ろしたりする重労働の朝飯としては足りるんだろうかと心配になる。
で、このheel、今度は別の用法で出てくる。
看護婦の切り裂きレイプ犯を探索するJudith が兄弟ともなじみの未亡人看護婦(Josephが惚れまくっているが、兄弟の友人の後家であるためか、Josephが好きなのに距離を置こうとしている)Lizzieの嘘を見破って真実を話させようとする場面である。
Moment ticked by. They seemed frozen. Then Lizzie pushed Judith away and put her hands up over the face, the heels of her palms pusshing into her eyes.
難しい単語はひとつもない。うむ、分る。映像は見える。でも、heels of her palms に当たる日本語が浮かばない。というので、持ってる辞書を片端からみるが、さっぱり載ってない。最後に英語図詳大辞典のhand の項を見た。お、あった。掌の手首よりの内側の、「足のかかとに当たる部分」にheel とある。注して曰く、日本語にはこれに相当する概念はない。。。
猫にはあるのになあ。

「Dixie can」 塹壕の中では何でお茶する?

これは最初(はな)から出てきた。Josephが塹壕の中でやはり起きぬけに飲んだはずである。
The trench was thick in his throat, but he was used to it. He found Harrison crouched in a small dugout in the side of the supply trench. He had made a cup of tea in a Dixie can and was sipping it. Joseph knew exactly how it would taste: like sour water and the residue of tinned Maconachie stew. (P.7)
ま、このマコナシシチューの残り味のするクッカーでお湯を沸かして茶を作るわけですね。Maconachie stewというのは、英軍の缶詰レーションの定番で、人参と蕪が具、味といったら、「餓死寸前だからこそ食えるけど、ひどくまずい。たまにジャガイモが入ってるんだが、真っ黒で。。。」というような散々な評判が今でもインターネットで読める。100年近くたってるのにね。Lolol. 最初は英軍のレーションも、コーン(ド)ビーフの缶詰と、パンとビスケットと、このマコナシシチューだったんだそうだ。ところが1916年に小麦粉が欠乏してくると、パンは乾燥蕪の粉から作られたとか。で三年目あたりは、グリーンピース豆と羊か馬のスープが当たり前になり、ついには野菜までもが欠乏してきて雑草のイラクサが代用で使われたとか。(http://cookit.e2bn.org/historycookbook/22-112-edwardians-and-ww1-Food-facts.html)(History CookbookのEdwardian and WW1 Picture Gallery Food)
えーと脱線しちまった。ここでは、Dixie canで淹れて、ともかくも cup で飲んでる。他のところでは、Dixie can で飲んでるというような表現が出てくる。そこで、

Dixie can ってなんだ?

辞書引こうが、ネットのフリー辞書を引こうがまったくでてこない。Dixie can で検索かけてみると出てくるのは、Dixie Chicks のCan love you better ...好きな曲ですけどね。Lolol.
でも一件ヒットした。第二次世界大戦のエピソードなんですが、それが、ABCのニュースブログ。
http://blogs.abc.net.au/nsw/2010/08/dixie-can.html?site=sydney&program=australia_all_over

George Vanselow (a POW in Sumatra) returned from WW2 with this Dixe Can.His daughter Margaret traced the owner to Klass Smit. Margaret has just travelled to Amsterdam to return the Dixe Can to Klass Smit's daughter Trudi
(これもやさしい英語なんで訳すまでもないと思うが、ようするにヴァンスローさん(スマトラで捕虜生活を送ってたそうな)が戦地から持ち帰ったDixe Canには持ち主の名前が入ってた。そのKlass Smit さんに、ヴァンスローさんの娘さんが返そうとして、Klassさんの娘さんを見つけました。。。2010・8・24)
おお、これかあ。登山用のコッヘルじゃん。たしか、英語じゃあ、Mess tin だったはず。そこからは、検索語にmess tin を加えたら次々とヒット。
一番、お茶しやすそうなのは、ドイツ製のこれ。
http://www.flecktarn.co.uk/photos/flbca1ux500a.jpg

まあ、このDixie Canを検索(月曜日のオフの半日潰れてしまった)してたら、やはり、向うの戦争オタクたちの板がやっぱり一番でした。
http://1914-1918.invisionzone.com/forums/index.php?showtopic=148149
Great War Forum というんですが、スレッドをたてたのがTerry Carterさん。
What did British troops eat their food out of during WW1. A dixi or a mess tin or does it mean the same?
まさに、同じ疑問を持つ人っているんですねえ。LOLOLOL.
“We shall not sleep”の方の感想は読後にまた書くことにします。
その上、ヴァンスローさんの持ち帰ったコッヘルの横に、JAPANと読める文字が彫り込まれてるのですねえ。。。また、謎から謎が一つ生まれてしまった。なんでオランダ軍の備品にJAPANの文字が入ってるんだろう?これを調べ出したら舞踏派はどこにたどり着くのだろう?ほんとインターネットに潜るのはきりがないですねLOLOLOL.
(追記)リンクが切れているので、せめてDixie Can の写真を再検索したから、載せておきましょう。中古オークションから。 2018/07/01

005「リバース エッジ 大川端探偵社」原作 ひじかた憂峰 画たなか亜希夫 日本文芸社

ちょっと、変わった比較実験をしてみた。あんまりこういう作者への無礼な個人的評価ごっこはしたくはないんだが、なかなかおもしろそうだったので、やってみた。マンガのシリーズが28作になって、3巻になってでている。その巻1の1作目と巻2の10作目、巻3の20作目と巻1の2作目。というように組み合わせてどちらがおもしろく自分に思えたかで勝ち抜き戦をやってみたのだ。
一回戦は、巻一から5作、巻2から7作、巻3から2作が生き残った。巻2でシリーズが充実して、巻3でマンネリ化がはじまってるような風にもみられるが、この勝ち残りでまた同じように勝ち抜き戦をしてみた。
2回戦は、巻1から2作、巻2から3作、巻3から2作と、好み度合いが高いのが平準化されて、簡単にマンネリなんていえないなと思い直した。
その生き残った7作について書いてみよう。

FILE. 20 決闘代打ち

第三巻の冒頭のカラー作品で、筋はあるヤクザの組の仲の悪い幹部が親分の妻の葬儀の最中に喧嘩をはじめた。怒った組長は、二人に決闘して「ガチで殺し合いやがれ!!」と命じた。大川端探偵社のはげ頭ヤクザ顔の60男の所長に依頼に来た大幹部は、「猛暑のせいだ。誰も彼もが“狂犬”みたいなオーラを・・・・・・」と説明して、結局、決闘の代打ちを雇って勝負するということになったので、死人が出ないように所長に見届け人=レフリー役を依頼したいと言った。片方は、バズーカ砲使い、片方は鎖鎌の達人。所長は、「断れませんな。おたくの組長には義理も恩もある」と引き受けた。
うん、この荒唐無稽さは、確かにマンガならではの世界です。で、決闘の結果は、本買ってくださいな。LOLOL.

FILE.11 純愛

依頼人は、ある名家出身で、現在未亡人の年齢不詳の美女とその運転手。アルツハイマー気味で説明ができない未亡人に代わって運転手は、昔、奥様が結婚する前に見知らぬ青年から「告白」を受けたことがあると言った。彼女は、その青年が誰だったか、何ものだったか知りたいと思っているというのである。彼女が覚えているのは、大川という苗字と、「なにか・・・・・・とても清潔で繊細な印象だけが強烈に・・・・・・」だけなのである。
所員の三十歳くらいに描かれている村木たけしは、あっさりと青年の正体を突き止める。いまは浅草にはない酒店の息子だった。が、彼は若くして亡くなっていて、両親は心当たりがなにもなかったが、青年の妹が両親にも見せないで彼の日記を持っていた。妹はそれを村木に預けた。
村木がバーKURONEKOで所長に報告する。「早死に というか早世を予感していた人間にしか書けぬような・・・・・純情詩集・・・・じみた日記でした。」その日記を未亡人が読んで顔も、最初で最後だった告白の言葉も思い出したと村木に電話してくる。
その大竹青年が若き日の未亡人に告白した言葉は、
「お慕い申し上げておりました」

FILE.04 怖い顔グランプリ

「美人秘書」のメグミちゃんと寝起き頭の村木とはげ頭の所長がウサギの耳をつけてはしゃいでいるところへ、ド迫力の怖い顔の中年男が依頼者として現れた。アラブゲリラのごときギョロ目に太い眉、大きい鼻に強いヒゲ面のパン屋だった。最近、この顔がアルカイダのパン屋なんて陰で呼ばれて営業に差し支えるようになったので、噂で聞いた「怖い顔グランプリ」という大会にでて、笑い話に変えてしまいたいので、是非大会を見つけて出場できるようにして欲しいという依頼だった。「たとえ優勝は無理でも出場写真くらいは額縁に入れて店内に飾ってしまえば、笑い」となるだろう。
所長は裏社会人脈ネットワークでなんなく、大会を見つけた。ある警備会社が強面の警備員をスカウトするために年二回開いてる裏の世界のイヴェントなのだという。パン屋は、スーツのヤクザスタイルで登場、優勝はしなかったが、見事入賞、もくろみどおり店に写真を飾って、イメージチェンジに成功した。まあ、この大会の様子がたなか亜希夫の筆力で怖くてユーモラスな8頁になってるのですね。うむ、確かにマンガの可能性を最大限に見せてくれます。

FILE.05 その人は今・・・

依頼者は、元四回戦ボーイのボクサーあがりのキャバクラチェイン店の40才ほどのオーナー。秘書のメグミちゃんに、
「おっ ケバくてエロいお姐ちゃん。金に困ったら連絡してよ」と名刺を渡してスカウトにかかるような軽さ。その男が、昔からずーっとヒーローとしておっかけていた「かませ犬」松永五郎、通算戦績7勝28敗、将来は世界チャンピオンと期待された有望新人を三人もつぶしたという逆伝説の男をさがしてくれ、というのが依頼。
「俺は、オレみたいなチンケな奴があんたのおかげで頑張って成功したんだ・・・・・・そう言ってサインしてもらいてえのさ」
さんざん所長と村木が探し回って、あきらめかけたとき、メグミちゃんがネット検索で見つけてしまった。なんと「逆・伝説ボクサー松永五郎の店」というホームペイジがあった。LOLOL.
キャバクラ経営者はアル中から立ち直ったかませ犬ボクサーの手を取って念願を達成する。

FILE.15 依頼者は所長

唖然とするメグミと村木に向かって所長は依頼する。「どうした 俺が依頼者だ。誰かに恨まれているみてえなんだ。ひとり住まいの俺の部屋にくだらねえイヤガラセ・・・・・・鍵穴を接着剤で開かないようにされたりとか、二度や三度じゃねえんだ。。。ベランダに道路から生ゴミを投げ入れられたりな」
というので村木は一週間所長を尾行調査後、結論を出した。原因は、所長のなじみの定食屋のアルバイト店員の女の子が、所長だけに笑顔で応対して、他の客には無愛想な表情で接することだった。彼女をアイドル視している「いわゆるパッとしない男たち」の誰かが所長に嫉妬しているのだというもの。
「わかったもういい。俺があの定食屋に行かなきゃいいんだろう」「ああ俺もパッとしねえ男だ。 あの子に惚れてたのかも・・・・」

FILE.27 アイドル・桃の木マリン

50前のサラリーマンが依頼者で、彼が高校生のころデパートの屋上で生で見た一枚のシングルを出して消えたアイドルを探して欲しいというもの。三十年の時を隔てたアイドルさがし。
こうなると、所長の裏人脈ネットワークが活きてあっさり見つかった。所属していたプロダクションのオーナーは、マリンはトラックの運転手をしていると村木に言う。村木は桃の木マリンに依頼者とあってくれるよう直談判に出張する。本人を見て、村木は唖然呆然。その様変わりように驚く。それでもマリンは依頼者にあってくれることになり、依頼者もまた、元オーナーの「だがなあビックリするぞ。サプライズってやつだ。まあ会えばわかる」という言葉通りになる。その依頼者にマリンは昔の持ち歌を振り付けつきで歌ってみせた。
え?どんなサプライズ?それは本買って読んでくださいな。たなか亜希夫の絵とともに人生の妙、魔術ってのを十分にサプライズできますよ。

FILE.18 ある結婚

依頼者はデリヘル嬢。彼女の現れ方がいいんですねえ。メグミちゃんが、メイドの格好して所長と寝起きの村木の目を丸くさせているところへ、あらわれて「あんたみたいな可愛くてイケてる子よりも、あたしみたいなブスのほーが、コスプレは決まるんだよ。ほら」メグミの感想、「プロっぽーい」。所長の感想、「テレビで見たまんまだ」
依頼は、最初のときは「客」だったけど、二度目からは月に一度日曜日に買物をいっしょにするだけの客からプロポーズされたのだという。その客が何考えてプロポーズしたのか知りたいという。
村木は、相手の男がキャリア官僚なのに、「なぜかその男の『暗さ』と『純度』に共感してしまった。」普通の尾行調査ではらちがあかないと、村木は正体を明かして呑み勝負にかける。泥酔しない限り本音は聞けぬと。
酔いつぶれたキャリアは、その思いを告白。村木は「泥酔のせいだろう・・・・涙があふれた・・・・」
KURONEKOの50女(婆様です外見は、もう80くらいの)と所長がペアになり、村木とメグミが組んで、親戚のいないデリヘル嬢の身内役で結婚式に参列する結末。
所長はつぶやく。「まあな世間の連中の恋愛なんぞはほとんど錯覚か打算か性欲みてえなもんさ。 男と女が劣等感を交換(シェア)して結ばれた。。。。フツーの夫婦よりうまくゆくぜえ・・・・・・・多分」
村木は答える。「ウイッス」
舞踏派もうなずく。゛Oui!”

ひじかた憂峰って、新人じゃない。狩撫麻礼だったんだ。とすると、ずいぶん長いつきあいだなあ。
その原作を磨き上げてるのがたなか亜希夫の画なんだが、ほんとこれはすごい絵です。
ミステリ舞踏派@書きたいのはいっぱいあるのに、書くスタミナがなくなったなあ・・・・

児玉龍彦教授

:[real]0015 東大にもまだまともな教授がいるようである

2011.07.27の国会参考人証言で東大アイソトープ研の児玉龍彦教授が政府と国会を糾弾証言している。

上のリンクが無効になることはあるまいけれど、もしそうなったら、
1011.07.27 国の原発対応に満身の怒り- 児玉龍彦
で検索をかければ、見つかるだろう。

東大医学部の中川研究室のツイッターはなかなか良心的だと思っていたが、児玉教授に比べれば、
冷静に知識と情報だけ流して、あとは読んだものが行動を起こすかどうか、自分で決めてくれいというような、醒めた犬儒主義・厭世感・デガジェを感じないでもないが、児玉教授はアンガジェです。ま、中川氏の場合、どちらかというと現状観察・判断先延ばし派・ノンポリって死語で形容されるような無責任無気力人間に好都合な学者の役割をふられてしまったような気がする。根拠非明示で安全宣伝しまくる御用学者とか、やっちゃったもんはしょうがないし、金かけて作った以上は使わなきゃ元はとれないわという寄生虫評論家なんかとは、一線を引いて見るべき学者だと舞踏派は思う・・・学問主義学者とでもいうべきか。
児玉教授のこの証言を聴くと、事態は深刻である。現在の60代が少年時代だったころに核実験による日常、長期にわたって被爆してたにもかかわらず、癌患者が増えたか?(根拠はないが、実感として)増えていないだろう、皆、生きてるではないかという判断先延ばし・無責任無気力中老年の言い訳論理を吹き飛ばしてくれる。
でも、でもである。
舞踏派のごとき無気力老人どもは、結局、自分達は結果オーライだったから、別にいいじゃないか、それよりも先ぼそる収入と生物的社会的生活力低下のほうにしか関心はむかなくなっている。個々のごく近い将来の生活不安で、社会の後遺症となりそうな将来への不安をそらしてしまおうと誰かが企んでいるとすれば、ほとんど成功しているだろう。
その結果かな。国会も政府も、参考人意見陳述は聞き流して、なんにもしてないようである。
若くて元気いっぱいの人たちもフジテレビにデモかけるくらいなら、こっちのほうで、国会か首相官邸にデモかけるべきではないのか。
老人達のデモ列なんて抗議行動なのか葬列なのか判別しがたいだろう。あ、これも言い訳か。